今まで通り、のつもりだけれど――ただ、言葉
にならない気まずさみたいなものがあってな。そういうのは、どうしても、出て、残ってしま
う。だから、結局、お互い気を遣っちゃうし、それに――」
妹。
二人の妹が。
――兄ちゃんは、そんなことだから――
「そんなことだから、僕は――いつまでたっても大人になれない、んだってさ。いつまでも大
人になれない、子供のままだ――そうだ」
「子供ですか」
八九寺は言う。
「では、わたしと同じです」
「……お前と一緒ってわけじゃないと思うけどな。身体ばっかでっかくなって、中身がそれに
ついていってないって意味だろうから」
「阿良々木さんはレディに対してかなり失礼なことを言いますね。これでもわたし、クラスで
はかなり発育のよい方です」
「確かに、なかなか立派な胸をしていたな」
「はっ!? 触りましたか!? いつ触りました!?」
仰天した顔で眼を剥く八九寺。
しまった、口が滑っちゃった。
「えっと……取っ組み合いしたとき」
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「殴られたことよりショックです!」
八九寺は頭を抱えた。
本当にショックらしい。
「いや……別にわざとじゃないし、一瞬だけだし」
「一瞬っ!? 本当に本当ですかっ!?」
「ああ。三回くらいしか触れていない」
「一瞬じゃありませんし、それ、二回目からはあきらかにわざとですっ」
「言いがかりだって。不幸な事故だったんだ」
「ファーストタッチを奪われてしまいました!」
「ファーストタッチ……?」
最近はそんな言葉があるのか。
小学生は進んでいるなあ。
「ファーストキスよりファーストタッチの方が先だなんて……八九寺真宵は、いやらしい女の
子になってしまいましたっ」
「あっ。そうだ、八九寺ちゃん。そう言えばすっかり忘れてたね、約束通り、お小遣いをあげ
よう」
「このタイミングで言わないでくださいっ!」
頭を抱えたまま、服の中にアシナガバチでも入ったかのように、八九寺は身体中という身体
中を悶えさせていた。
哀れだった。
「まあまあ、そう落ち込むなよ。ファーストキスがお父さんだったとかよりは、まだマシだっ
て」
「ものすごく普通のエピソードですっ」
「じゃあ、そうだな、ファーストキスが鏡に映った自分だったとかよりは、まだマシだって」
「そんな女の子、この世にいませんっ」
うん。
あの世にもいないだろう。
「がうっ」
ようやく頭から手を離したかと思うと、八九寺はそのまま、僕の喉元に向かって、噛みつい
てきた。春休み、吸血鬼に咬みつかれたのと同じ位置だったので、背筋が凍る。なんとか八九
寺の両肩を押さえ、事なきを得る。「がうっがうっがうっ」と、威嚇するように音を立てて、
歯を噛み合わせる八九寺。なんか昔のゲームにこういう敵キャラがいたなあと思いながち(鎖
もだ
こお
いかく
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に繋がれた鉄球みたいな奴)、なんとか、僕は八九寺をなだめる。
「ど、どうどう。よしよしよし」
「犬扱いしないでくださいっ! それともなんですかっ、それはわたしのことを、いやらしい
メス犬だと、遠回しに揶揄しているのですかっ!」
「いや、どっちかっていうとお前、リアルに狂犬病って感じなんだが……」
しかし綺麗な歯並びしているな、この子。骨に達するくらいにまで僕の手を噛んでおきなが
ら、その、恐らくは乳歯混じりの歯は、一本すらも、抜けることもなく、欠けることもなかっ
たらしい。並びがいいだけでなく、とてつもなく丈夫な歯だ。
「大体、阿良々木さん、さっきからとてもふてぶてしいですっ! 反省の色が見えませんっ!
少女のデリケートな胸に触っておいて、一言くらいあってもいいでしょう!」
「……ありがとう?」
「違いますっ! 謝罪を要求していますっ!」
「そんなこと言われても、あんな取っ組み合いの最中だったんだから、どう考えても不可抗力
じゃん。胸くらいで済んでよかったと思って欲しいくらいだよ。それに、さっき羽川も言って
たろうが。どう考えてもあんな洒落にならないレベルで他人に噛みついてきた、お前が悪い
ぞ」
「どっちが悪いかなんて問題ではありませんっ! たとえわたしが悪いとしても、それでもわ
たしは多大なるショックを受けたんですっ! ショックを受けている女の子を前にしたら、自
分が悪くなくとも謝るのが大人の男ではないのですかっ!」
「大人の男は、謝らない」
僕は声を低くして、言った。
「魂の価値が、下がるから」
「格好いいーっ!?」
「それとも、八九寺は謝られないと許せないっていうのか? 謝ったら許してやるなんて……
そんなの、相手が格下でない限り寛容になれないってことじゃないか」
「なんと、わたしが批難される立場に!? 盗人猛々しいとはこのことです……もう本気で怒り
ました……温厚なわたしですが、仏の顔もサンドバッグですっ!」
「ありえない温厚だな……」
「ていうか謝っても許しませんっ!」
「ていうか別にいいだろ。減るもんじゃないし」
「うわっ、阿良々木さん、開き直りましたか!? 違います、減るもんじゃないとか、そういう
問題ではありませんっ! ていうかまだ発育途中でそんなにでもないのに、減ったりしたら困
ぬすっとたけだけ
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りますっ!」
「揉まれたら増えるとも言うぞ」
「そんな迷信、信じているのは男だけですっ!」
「つまんねえ世の中になっちまったな……」
「なんですか。阿良々木さんはそんな迷信を盾にとって、今まで婦女子の胸を揉みまくってき
たのですかっ。最低ですねっ」
「残念ながらそんな機会は一度もなかったな」
「童貞野郎なんですねっ」
「…………」
知ってるのか、小学生。
進んでるってより、終わってる。
つまんねえってより、嫌な世の中だ……。
とまあ、現代の風潮を嘆く振りをしてみても、よく思い出してみれば、小学五年生くらい
だったら、僕だってそれくらいは知っていた。自分より下の世代への不安なんて、案外、そん
なもんだ。
「がうっ! がううっ! がうがうがうがうっ!」
「いっ、う、あ、危ねえって! マジやばいって!」
「童貞に触られましたっ! 汚されましたっ!」
「誰に触られたって同じだ、そんなもんっ!」
「初めての人はテクニシャンじゃないと嫌だったんですっ! それなのに阿良々木さんだなん
て、わたしの夢が破れましたっ!」
「なんだそのファンタスティックな妄想!? ようやく芽生えかけていた罪悪感が消えていく
ぞ!?」
「がうーっ! がう、がうっ、がう!」
「ああ、もう、うっせえ! 本当に狂犬病かお前は! この前髪眉上、甘噛み女め! こう
なったらもうファーストがどうとかキスが何とか、そんなことが気にならなくなるくらいに揉
みしだいてやらあー!」
「きゃーっ!?」
小学生女子を相手に我を忘れ、強引なセクハラ行為を力任せに迫る男子高校生の姿がそこに
はあったが、それだけは僕ではないと信じたい。
まあ、僕なんだが……。
幸い、八九寺真宵が想像を遥かに越える強い抵抗を見せたため、僕の全身のあらゆる