も――同じ空を眺めているのだろう。
「すげえ――正直、言葉にならない」
「語彙が足りないのね」
感動に水を差す毒舌だった。
しかし――その程度で。
彼女の吐く毒ですら、この空の下ではその程度で。
「あれがデネブ。アルタイル。ベガ。有名な、夏の大三角――ね。そこから横にすーっと逸れ
て、あの辺りがへびつかい座よ。だからへび座は、あの辺りに並んでいる星になるわね」
戦場ヶ原が、夜空を指をさして、滔々と説明する。
やぼ あま
むく
ごい
とうとう
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ライトもなければ星座盤もない解説。
それでも何故か、わかりやすかった。
「あそこのひときわ明るい星がスピカ……だから、あの辺りはおとめ座ね。あっちにかに座…
…は、ちょっと判別しづらいかしら」
「北斗七星くらいはわかるな」
「そう。北斗七星はおおぐま座の一部ね――そのすぐそばに、やまねこ座」
「猫か」
「そう」
戦場ヶ原はそうやって、一つ一つ、見える限りの星座と、それにまつわるエピソードとを、
語ってくれた。まるでそれは、御伽噺を聞いているかのようで、心地よく、僕の内面へと染み
込んでくる。
許されることなら。
このまま、眠ってしまいたい。
「寝たら駄目よ」
しっかり駄目出しが入った。
鋭い奴だ。
「吹雪く雪山で遭難した登山家風に言うのなら――寝るな、寝たら殺すわよ」
「殺しちゃうの!?」
「そんなこんなで、なにはともあれ」
あらかた、星座の解説を終えて――
戦場ヶ原は、平坦に言った。
「これで、全部よ」
「ん……? 何がだ?」
「私が持っているもの、全部」
星空を見上げたままで言う戦場ヶ原。
「勉強を教えてあげられること。可愛い後輩と、ぶっきらぼうなお父さん。それに――この星
空。私が持っているのは、これくらいのもの。私が阿良々木くんにあげられるのは、これくら
いのもの。これくらいで、全部」
「全部……」
なんだ……そういうことだったのか?
一昨日の神原のことも……いや、そもそも、付き合い始めたあの母の日から一ヵ月、ずっと
こいつは、そんなことを考えていたのか? 僕からのデートの誘いにも、全く乗ってこなかっ
おとぎばなし
ふぶ
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たことと言い……神原との仲直りのことはイレギュラーとして、あれは、実力テストが終わ
り、父親と時間が合うのを、待っていたということなのか?
羽川の言葉が思い出される。
戦場ヶ原さんは、難しいよ――と。
「まあ、厳密に言えば、毒舌や暴言があるけれど」
「それはいらない!」
「それに、私自身の肉体というのもあるけれど」
「…………」
私自身の肉体って……。
遠回しなようで露骨な言い方だ。
「それもいらない?」
「え、いや……その」
いらない――とは、言えないよな?
でも、この場面で、それが欲しいって言うのも、なんか違う気が……。
「けれど知っているでしょう? 私はその昔――下種な男に乱暴されかけたことがある」
「ああ……うん」
蟹。
それは――怪異の理由だ。
少なくとも、理由の一つだ。
怪異には、それに相応しい理由がある。
「あの下種が私にしようとしたことを、阿良々木くんとするのは、正直言って、怖いわ。いえ
――このことについては、トラウマだなんて、そんな洒落た言葉を使うつもりはないのよ。そ
こまで軟弱なつもりはない。ただ……私は、怖い。付き合う前はそれほどでもなかったのだけ
れど――私は今、阿良々木くんを嫌いになることが、とても怖い」
怖い。
行為そのものじゃなく、その結果が。
「私は今、阿良々木くんを失うのが怖い」
戦場ヶ原は淡々と言う。
感情は全く読み取れない。
表情もきっと、無表情だ。
「付き合っている相手を嫌いになるのが怖いだなんて、付き合っている相手を失うのが怖いだ
なんて、おかしな話よね……卵が先か目玉焼きが先か、みたいな感じだわ」
げす
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「それは卵が先だろう」
「はっきり言って、下らない女になってしまったと思っているわ。原因不明の病に見舞われた
悲劇の美少女だったはずなのに――今や私は、男のことばかり考えている浮かれた美少女よ」
「どっちにしろ美少女なんだな……」
「とにかく、こんな、どこにでもいるような、面白くもなんともない女になってしまったこと
だけでも、私は阿良々木くんを、恨んでいるくらいなのよ」
「はあ……」
いやあ……十分面白いと思うよ?
いい台詞の途中で悪いけど。
「でもね――阿良々木くんも知っての通り、これまでの私の人生はあんまり幸福とは言えない
ものだったけれど……だからこそ阿良々木くんと知り合えたのだと考えると、それを、全部、
チャラにしてもいいと思えるのよ」
「…………」
「不幸だったからこそ、阿良々木くんの気を引けたというのなら――それで、よかったと思う
の。それくらい、私は、阿良々木くんに参ってしまっている。だから、万一にも、阿良々木く
んとあの下種を、私は重ね合わせたくない。勿論、いつまでもこんな甘えたことを言っている
つもりはないけれど……、実際、幼稚なことを言っていると思うわ。こんなネンネみたいなこ
と……こんなウブなネンネみたいなこと……」
何故わざわざ格好悪く言い直した。
「浅い台詞を言わせてもらえるのなら、阿良々木くんを失うことは、今の私にとっては、半身
を失うのと同じことなのよ。だから、少しだけ、それは待って欲しい」
「少しだけ――」
「そう。来週くらいまで」
「早っ!」
「それまでは神原の肉体で我慢しておいて」
「すげえこと言われた!」
「私もその間に神原とリハビリにいそしむわ」
「それ、神原のおいしいとこどりじゃん! あいつの願いだけが全部完璧に叶ってる!」
「まあ、来週というのは無理だけど――いつか、絶対に何とかするから、少しだけ、それは
待って欲しい。だから、浮かれ女のこの私が、現時点で阿良々木くんにあげられるものは――
今のところ、この星空が最後
。……子供の頃、お父さんとお母さんと――私とで、来たことが
あるのよ」
ようち
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お父さんとお母さんと――三人で。
僕が知っている、戦場ヶ原の家庭の事情を鑑みるに――それは、かなり、昔の話になるだろ
う。それでも――戦場ヶ原は、憶えていた。
いや。
思い出したのか。
忘れていた、思い出を。
「私の、宝物」
それは、戦場ヶ原にしては、随分と陳腐な言い回しだったが――しかし、それだけに、かざ
りっけのない、彼女の本音を聞いた気がした。
夏の星空。
家族で見上げた、夏の星空。
これで全部――か。
「………………………………」
少なくとも。
一つだけ、はっきりとわかったことがある。
戦場ヶ原ひたぎ……こいつ、相当に頭はいいし、常軌を逸して計算高い方でもあるのだろう
が、しかして、こと恋愛方面に関しては、戦闘能力ゼロだ。完全にゼロだ。あの母の日、付き
合うことになった際のやり取りにおいてもそれは顕著だったが、とにかくこの女、猪突猛進と
いうか、たいまつを