、これからそうなると言うのなら、怪異
について、知っていることは重要だ」
自覚は必要だよ、と、忍野は言った。
それは――その通りかもしれなかった。
知っていなければ、対応できないこともある。知っていても、手に負えないことはあるが―
―それでも知ってさえいれば、逃げることくらいは、できるのだ。
そうやってバランスを取る――ということだった。
「でも――忍野」
僕は言った。
背後を――二つ向こうの教室で縛り上げられたままのブラック羽川を、思いながら。
「なんで『あいつ』――また、出てきたんだ? ゴールデンウィークに、しっかり封じたはず
じゃないか。二度と現れないんじゃなかったのか?」
「そんなことは言っていないよ」
と、忍野は首を振る。
「障り猫ってのはさ――阿良々木くんが知っている他の怪異とは、またちょっと種類が違うん
254
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
だよ。そうだね、強いてどれかと言うなら、百合っ子ちゃんのときの、猿に近いのかもしれな
い――」
「ああ……両方、ケモノだもんな」
「うん。ただ――前も言ったろう? 障り猫ってのは、現実に即した言い方をするなら、多重
人格障害だからね――言わばブラック羽川は、裏の委員長ちゃんだ。怪異ってのは、そこにい
るしどこにでもいるもの――けれど、障り猫の場合、究極的には、委員長ちゃんの中にしかい
ない。障り猫は、あくまでただのきっかけであって、媒介であって――問題は委員長ちゃんの
中にある、ストレスだ」
ストレス。
学者に言わせれば、それはどんな質問にも答えようとする身体の反応――であるらしい。
「前回は、僕と相対した段階では、ブラック羽川、暴れるだけ暴れまくって、大体のストレス
を解消していたと言ってもよかったからね――封じるのも容易かった。けれど、あくまで、封
じた、さ。消えてなくなったわけじゃない。怪異を消してもストレッサーを消したわけじゃな
いからね。ストレスが溜まれば、また浮き上がってくるさ――泡のように」
「ストレス……」
「問題は、今回のストレッサーは何なのか、だ」
ストレスの原因をストレッサーという。
当然、羽川にとってのそれは、家族だろう。
と、思うのだが。
「いや、僕も最初はそう思ったんだけどさ――阿良々木くん、どうなんだろうね? 十七年間
自分を律してきて、ついに解放されたストレス――それが解消されたばかりだというのに、た
だの一ヵ月程度で、また同じレベルのストレスが溜まるもんなのかな?」
「あ――それは」
「幸い、あれ以来、委員長ちゃんが親から暴力を受けたってこともないんだろう?」
「まあ――ない、みたいだが」
最初に襲った相手。
お父さんとお母さん――両親。
今現在、結局は元の鞘だ――冷めた家族、ろくに口も利かない、一緒に住んでいるだけの人
間である――それが羽川にとってストレスでないわけがない。
だけど、確かに――一ヵ月は早過ぎる。
またぞろ殴られたというのならまだしも。
「一応、首に鈴をつけておいたからね――それが効を奏したって感じか。障り猫の、早期発見
? ?
? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ばいかい
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
たやす
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
255
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
に繋がった。用心はしておくもんだ。けど、正直、それが作用するとは僕は全く思っていな
かった。これは僕が迂闊だったよ。僕としては、どんな最悪でも、委員長ちゃんが二十歳にな
るまでは、持つと考えていたんだ。聞いた話じゃ、ご両親は委員長ちゃんが成人したら離婚す
るつもりらしかったし、委員長ちゃんは当然、家を出るつもりだろうから――だからあえて、
委員長ちゃんにも阿良々木くんにも、何も言わなかったんだけど」
「二十歳か……それは、神原の逆なんだな」
「わかりやすい基準だからね、『成人』は」
苦笑する風の忍野。
「その頃になれば、委員長ちゃんも怪異に魅せられない十分な強さを備えていただろうしね―
―うん」
「そうか……で、忍野。鈴ってのは、なんだ?」
「頭痛だよ。ゴールデンウィークの間も、委員長ちゃんは、頭痛を訴えていただろう? その
辺を含んで、仕掛けを打っておいたのさ――でも、せめて阿良々木くんにだけは言っておくべ
きだったな。で、委員長ちゃんの頭痛は、いつからだっけ?」
「確か――一ヵ月くらい前とか」
「ふうん……最初はそんなに酷くなかったけど……か。どうしたもんかね――けれど、そのス
トレッサーを突き止めている時間は、ちょっとなさそうだな。複数の要因が絡んでいる可能性
があるし、色ボケ猫は色ボケ猫で、相変わらず何言ってんだかわからないし――」
「……お前でもわからないのか」
本人に聞いた方が手っ取り早いとか言っといて。
「わからないよ。ヒントは色々あったけど、確実なところはねえ――デリケートな話だから、
適当な推測でものを言うわけにもいかないし――ふふん、所詮は猫の脳味噌ってことだ。た
だ、あれ、わざととぼけてる感じもあるんだよね――大本が委員長ちゃんなだけに、油断でき
ない」
「敵に回したくない女だからな――あいつは」
「敵に回ったわけじゃないさ」
ブラック羽川。
羽川の心が作り出した、もう一人の羽川翼。
対照的――というより、対をなす人格。
翼には、『たすける』の他に、また、『対をなす』という意味もある――正しく異形の羽
だ。
「しかし、忍野、原因を突き止めたところで、そんなの、大した意味はないんじゃないのか?
うかつ
256
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
家族のことにせよ、それ以外のことにせよ――そりゃ、ストレッサーを取り除くことができれ
ば一番の解決方法なんだろうけれど、そんなの、僕やお前に、なんとかできるわけがないんだ
し――」
前回もそうだった。
羽川の家庭の問題など――解決できるわけがない。
どういう状態になれば解決したことになるのかさえ、想像もつかない。他人が個人的に抱え
る事情になど、どうあっても踏み込めるわけがないのだ。
それこそ、傲慢である。
「戦場ヶ原や千石のときとは違って他に被害が出
るタイプの怪異なんだし……怪異のタイプは
似てても、神原のときともケースが違う。結局、前回と同じで、その場しのぎの対症療法を取
るしか、道はないと思うけれど――」
「そうだね。その通りなんだけれど、うん」
どうにも歯切れが悪かった。
なんだか忍野らしくない。
障り猫に関して、まだ何かあるのだろうか――いや、忍野は今日、話をする前から、ずっ
と、様子がおかしかったような気がする。こんな太陽の出ている午前中から、屋外で活動して
いたというのが、もう異常と言っていい――
「なんだよ、忍野――言葉を濁すじゃないか。また、なんだかんだと難癖をつけるつもりか?
そりゃ、ケースがケースだし、千石のときほど協力的になれないのはわかるけどさ――」
いい加減、付き合いも長い。千石のように、羽川が被害者なだけではないことは、よく