第86章

ねてきた家族の苦しさが、数ヵ月募らせた恋愛の切にゃさに劣っちゃいけにゃ

い理由でもあるのかにゃ?」

これまでの私の人生はあんまり幸福とは言えないものだったけれど……だからこそ阿良々木

くんと知り合えたのだと考えると、それを、全部、チャラにしてもいいと思えるのよ。

不幸だったからこそ、阿良々木くんの気を引けたというのなら――それで、よかったと思う

の。

戦場ヶ原の言葉だ。

けれど――でも。

そんなことが、本当にあるのか……?

「わかんねーってツラしてるにゃあ、人間。……お前、ひょっとして、真剣に人を好きに

にゃったこととか、ねーんじゃにゃいのか?」

「なっ……!」

「今、その女と付き合ってることだって、ただ単に押し切られただけじゃにゃいの? だとし

たら、さっさと別れて、ご主人と付き合ってやればいいにゃん。そうすれば、俺は消えるし。

どうせ、お前は相手にゃんて誰でもいいんだろ?」

「…………」

ここはあるいは、怒るべき場面だったのかもしれない――こうも露骨に挑発されて、黙って

ないふ

あや

おと

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いるべきではなかったのかもしれない。実際、相手が、羽川翼の形でさえなければ――僕だっ

てそうしていただろう。

でも――それを言うのが羽川だから。

僕には、怒る資格はないように思えた。

「……でも、それはできないよ、猫」

「ああん? どうしてにゃ? お前、ご主人のこと、恩人だと思ってるんじゃにゃいか――

だったら、ここは、その恩義に報いるべきところじゃにゃいのか? にゃんだかんだ言って、

結局は恩よりも自分の恋愛の方が優先か?」

「それをやると――羽川に、恩に対して付け込ませることになってしまう。羽川にそんなこと

はさせられない。……いや、違うな。これは都合のいい言い訳だ。単純に、僕の戦場ヶ原に対

する気持ちを偽ることはできない。嘘なんかついても、羽川にはどうせお見通しだろ?」

僕は嘘をつくのも下手だし、隠し事も下手だ。

薄くて弱い。

羽川を騙すことは、したくてもできない――勿論、したくなんてないけれど、できることな

らしたいという気持ちも、ないではないが、でもできない。

「僕が我慢すればいいって話じゃない。そればっかりはどうにもならないこと――なんじゃな

いのか。羽川だって、そんな僕と付き合うのが――」

「そうかあ? 実際、今、俺が、ご主人の気持ちをお前に伝えたことで、俺の存在は、ちっと

薄くにゃったぜ――確実にストレスは解消されているにゃん。ご主人だって、底の底まで綺麗

な部分で出来てるわけじゃにゃいにゃ。裏には俺がいるように。案外、さらっと、気にせずに

楽しくやれるんじゃねーの? 最初は心苦しいかもしれにゃいけど、慣れりゃどうってこと

ねーかもしれないにゃん」

「慣れればって――お前がそれを言うのかよ。そんな単純な問題だったら、羽川は、お前を生

み出すほどに、悩まなかっただろう? 誰かを押しのけてまで自分を優先できる奴じゃない。

自分を他人より優先できる奴じゃない。そんな羽川だから――僕は恩を感じてるんだ。母の日

以前なら、多分、応えたと思うよ。僕が羽川のことを友達として憎からず思っていたのは確か

だ。でも、今はもう、無理だよ。僕の気持ちは、戦場ヶ原に向けて、完全に固まってしまって

いる。恩よりも恋愛の方が優先かと訊かれたが――どちらかを優先することなんて、できない

よ。ダブルバインドだ。だから、羽川を選ぶことはできない」

普通、あの二人だったら、羽川さんの方を選ぶんじゃないか――と、八九寺は言った。どう

して阿良々木さんは羽川さんじゃなくて戦場ヶ原さんとお付き合いなされているのか、ふと、

不思議に思ってしまいました――と。

むく

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どうして。

そんなことを訊かれても。

「僕はあの性格を含めて――戦場ヶ原のことが、好きなんだ」

文末まで、きちんと言った。

そう。

全部好きだ。

好きじゃないところはない。

「生まれて初めて、真剣に人を好きになったんだよ」

「ふうん。そうかにゃ」

あっさりと――ブラック羽川は退いた。

僕の答が最初からわかっていたかのように。

そうかもしれない――こいつは羽川なのだから。

全部、お見通しなのかもしれない。

何でも知っている。

いや――何でもじゃないのか。

知っていることだけ、だ。

「それにさ、猫――たとえ、十数年積み重ねてきた家族の苦しさに、数ヵ月募らせた恋愛の切

なさが匹敵するとしても……それでも、羽川は、お前を出すべきじゃなかったんだよ。頭痛

は、是が非でも、我慢するべきだったんだ。今回のことだけじゃない、ゴールデンウィークの

ときだってお前に頼ったのは、羽川の弱さなんだ」

薄くなくとも――弱いは弱い。

願った結末――ではなくとも。

頼った弱さは、加害者のそれだ。

「さっきの言葉は、お前じゃなくて羽川が僕に言うべき言葉だった――苦しい役目をお前に押

し付けたに過ぎない」

千石の蛇のとき。

僕が神原にしたように。

苦渋の決断を先延ばしにして――他人に委ねる。

それはただの――いいとこ取りだ。

「障り猫――怪異。けれど、その怪異が現れた理由は羽川の弱さにある。望んだから与えられ

たんじゃなくとも――お前から与えられたものは、羽川の欲していたものだった。お前がやっ

たことは羽川のやったことだ。勿論……羽川にだって理由はある。それに、どちらの件でも少

ゆだ

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なからず責任の一端を担っている以上、僕が言っていいようなことではないけれど――同じ環

境でだって、怪異に頼らず自分ひとりでその環境を生き抜いている奴もいるはずさ。羽川がお

前みたいなのに頬ったのは、そういう連中に対する冒涜だ」

「言うじゃにゃいか」

ブラック羽川は、僕を揶揄するように、嘲る。

「まあ、お前にはそれを言う資格はあるんだろうよ――言っていいようにゃことにゃんだと思

うにゃん。お前は、こともあろうか、我が身を犠牲にして瀕死の吸血鬼を助けてしまうくらい

の、お人よしにゃんだからにゃ」

「…………」

「誰にでも優しいっていうのは、特別な人間がいに

ゃいってことだにゃあ――ご主人も誰にで

も優しかったから、俺にはそれがわかるにゃ。ふん。じゃあ、まあ、仕方にゃいか。人の気持

ちを変えることはできにゃいにゃ――それは前回、よく学んでいるにゃ。学んで――懲りてい

るにゃん」

「そりゃ助かるよ」

ならば、結局は忍を探すしかないということだ。

都合のいい方法など、あるわけがない。

「しかし……やっぱり、羽川もそうなのかな。だとしたら、さっきみたいに、責めるようなこ

とをいうのは酷なのかもしれないな……」

「あん? 何の話だにゃ?」

「いや、その話だよ――僕って、まあもどきとは言え、吸血鬼みたいなところがあるだろ?

で、吸血鬼の特性に魅了ってのがあって……それで春休み以降、僕は女の子にモテモテになっ

ているって話。羽川から聞いたんだぜ、だからお前も知っているだろう」

「知識は共

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