第8章

あのとき、階段の踊り場で僕

に見せたのは、あれでもまだほんの一部、凶器にして狂気の片鱗に過ぎなかったらしい。こい

つのポケットの中は四次元にでもなっているのかもしれない。二十二世紀の科学なのかもしれ

ない。預かるとは言ったものの、僕の鞄の中に入りきるかどうかも、怪しいくらいのとてつも

ない物量だった。

……こんな人間が何の制限も受けずに天下の公道を闊歩しているというのは、どう考えて

も、行政の怠慢なんじゃないだろうか……。

「勘違いしないでね。別に私は、あなたに気を許したというわけではないのよ」

全てを僕に渡し終えた後で、戦場ヶ原は言った。

「気を許したわけではないって……」

「もしもあなたが私を騙し、こんな人気の無い廃墟に連れ込んで、ホッチキスの針で刺された

あず

にら

かっとう しばら

ひゃっかりょうらん

へんりん

かっぽ

たいまん

だま

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件で仕返しを企んでいるというのなら、それは筋違いというものよ」

「…………」

いや、筋はものすごく合っていると思う。

「いいこと? もしも私から一分おきに連絡がなかったら、五千人のむくつけき仲間が、あな

たの家族を襲撃することになっているわ」

「大丈夫だって……余計な心配するな」

「一分あればこと足りると言うの!?」

「僕はどこかのボクサーかよ」

ていうか躊躇無く家族を標的にしやがった。

とんでもない。

しかも五千人って、大嘘つきだった。

友達のいない身で大胆な嘘である。

「妹さん、二人ともまだ中学生なんですってねえ」

「………………」

家族構成を把握されていた。

嘘ではあっても冗談ではないらしい。

とにかく、多少の不死身を見せたところで、どうやら僕は全然信頼されていないようだっ

た。忍野は、こういうのは信頼関係が大事だと言っていたから、その点から鑑みるに、この状

況はあまりいいとは言えないみたいである。

まあ、仕方がない。

ここから先は、戦場ヶ原一人の問題だ。

僕はただの、案内人である。

金網の裂け目を通り、敷地内に入って、ビルディングの中に這入る。まだ夕方だけれど、建

物の中だというだけで、かなり薄暗い。長期開放置されっぱなしだった建物だ、足元がかなり

とっちらかっているので、うっかりしていたら躓きかねない。

そこで気付く。

僕にとって、たとえば空き缶が落ちていても、それはただの空き缶だが、戦場ヶ原にしてみ

れば、それは、十倍の質量を持った空き缶なのだ。

相対的に考えればそうなる。

十倍の重力、十分の一の重力という風に、昔の漫画みたいに簡単に割り切れる問題ではな

い。重さが軽いイコールで運動能力が高いと、単純に考えちゃ駄目なのだ。ましてこの暗闇

で、見知らぬ場所である。戦場ヶ原が、まるで野生の獣のように、警戒心をむき出しにして

たくら すじちが

? ? ?

かんが

はい

つまず

けもの

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も、それは仕方がないのかもしれない。

速さでは十倍でも。

強さは十分の一になるのだから。

文房具をあれほど手放したがらなかった理由も、そう考えれば、分かる気がした。

それに――鞄を持たない。

鞄を持てない、理由も。

「……こっちだよ」

入り口辺りで、所在なさげに踏みとどまっていた戦場ヶ原の、手首を握るようにして、僕は

彼女を導いた。少し唐突だったので、戦場ヶ原は面食らったようだったが、

「何よ」

と言いながらも、素直に僕についてきた。

「感謝するなんて思わないでね」

「わかってるよ」

「むしろあなたが感謝なさい」

「わからねえぞ!?」

「あのホッチキス、傷が目立たないようにと思って、わざと、外側じゃなくて内側に針が刺さ

るようにしてあげたのよ?」

「…………」

それはどう考えても、『顔は目立つから腹を殴れ』みたいな、加害者側の都合だろう。

「そもそも、貫通したらおんなじだったろうが」

「阿良々木くんは面の皮が厚そうだから、なんとなく大丈夫そうだと判断したわ」

「嬉しくねえ嬉しくねえ。しかもなんとなくって」

「私の直感は、一割くらいは当たるわよ」

「低っ!」

「まあ――」

戦場ヶ原は、若干間を空けて、言った。

「どの道、全然、無駄な気遣いだったわけだけれど」

「……だな」

「不死身って便利そうねって言われたら、傷つく?」

戦場ヶ原の質問。

僕は答えた。

「今は、そうでもない」

みちび

つら あつ

うれ

じゃっかん

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今は――そうでもない。

春休みだったら。

そんなことを言われたら――その言葉で、僕は死んでいたかもしれないけれど。致命傷だっ

たかも、しれないけれど。

「便利と言えば便利だし――不便と言えば不便だし。そんなところかな」

「どっちつかずね。よくわからないわ」

肩を竦める戦場ヶ原。

「『往来危険』が危険なのかそうでないのか、どっちつかずなのと、似たようなものかしら」

「その言葉の『往来』はオーライじゃない」

「あらそう」

「それに、もう不死身じゃない。傷の治りがちっとばかし早いというだけで、他は普通の人間

だ」

「ふうん。そうなんだ」

戦場ヶ原はつまらなそうに呟いた。

「機会があれば色々と試させてもらう予定だったのに、がっかりだわ」

「どうやら僕の知らないところで、かなり猟奇的な計画が立てられていた模様だな……」

「失敬ね。ちょっと○○を○○して○○させてもらおうと思っていただけよ」

「○○には何が入るんだっ!?」

「あんなことやこんなこともしてみたかったわね」

「傍線部の意味を答えろ!」

忍野がいるのは、大抵四階だ。

エレベーターもあるが、当然のように稼動していない。となると、選択肢は、エレベーター

の天井を突き破って、ワイヤーを伝って四階まで移動するか、階段を昇るかだが、誰がどう考

えたって、それは後者を選ぶべきだろう。

戦場

ヶ原の手を引いたまま、階段を昇る。

「阿良々木くん。最後に言っておくけれど」

「何だよ」

「服の上からだとそうは見えないかもしれないけれど、私の肉体は、案外、法を犯してまで手

に入れる価値はないかもしれないわよ」

「…………」

戦場ヶ原ひたぎさんは、どうやら随分と高い貞操観念をお持ちのようだった。

「遠回しな言い方ではわからなかったかしら? じゃあ具体的に言うわ。もしも阿良々木くん

すく

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が下劣な本性を剥き出しにして私を強姦したら、私はどんな手段を行使してでも、あなたに

ボーイズラブな仕返しをしてみせるわ」

「…………」

恥じらいや慎みはゼロに近い。

ていうかマジで恐怖。

「なんか、その言葉のことだけじゃなくてさ、お前の行動、全般的に見て、戦場ヶ原、自意識

過剰っつーか、ちょっと被害妄想、強過ぎるんじゃないか?」

「嫌だわ。本当のことでも言っていいことと悪いことがあるでしょう」

「自覚しているっ!?」

「それにしても、よく、こんな、今にも壊れそうなビルに住んでいるわね――その、忍野って

人」

「ああ……随分な、変わり者でね」

戦場ヶ原とどちらの方がといわ

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