第31章

差というものが、歴然として

ある。この差だけは埋めようがない。顔面に決まっていればあるいはということもあったかも

しれないが、八九寺のハイキックは、精々、僕の脇腹辺りにヒットするのがやっとだった。無

論脇腹にだってつま先が入ればダメージはある、しかし、それは我慢できないほどの質量では

ない。僕はすかさず、八九寺の足がヒットした直後に、両腕でかかって、その足首、ふくらは

ぎの辺りを、抱え込んだ。

「しまりました!」

八九寺が叫ぶが、既に遅い。……『しまりました』というのが果たして文法的に正しいのか

どうかは、あとで戦場ヶ原に訊くとして、僕は、片足立ちで不安定な姿勢になったところの八

九寺を、容赦せず、畑で大根でも引き抜くかのような形で、思い切り引き上げた。柔道で言う

一本背負いのフォームだ。柔道ならばこのように足をつかむのは反則だが、残念ながら、これ

は試合ではなく実戦だ。八九寺の身体が地面から浮いた際、スカートの中身が思い切り、それ

もかなり大胆な角度から見えてしまったが、ロリコンではない僕はそんなことには微塵も気を

とられない。そのまま一気に背負いあげる。

が、身長差がここで、逆ベクトルに作用した。身体が小さい八九寺は、地面に叩きつけられ

るまでの滞空時間が、同じ体格の人間を相手にするときょりもほんのわずかに長かった――ほ

んのわずかに。しかし、そのほんのわずかに、わずかの間に、八九寺は思考を切り替え、自由

になる手で、僕の髪の毛をつかんだのだった。理由あって伸ばしている最中の髪――八九寺の

短い指でも、さぞかし、つかみやすいことだろう。頭皮に痛みが走る。反射的に、八九寺のふ

くらはぎから、僕は手を離してしまった。

そこを逃すほど、八九寺は甘い少女ではなかった。僕の背に乗ったまま、地面への着地を待

たず、くるりと、僕の肩甲骨を軸に回転し、そのまま頭部への打撃を繰り出した。肘鉄だっ

た。ヒットする。だがしかし――浅い。両足が地面についていないから、力の伝導が平生通り

にいかなかったのだ。年齢の差、実戦経験の差が、もろに露呈したのだった。決着を焦らず、

落ち着いて一撃を繰り出せば、今ので決まり、今ので終わりだったろうに。そしてこうなれ

ば、僕の反撃のシーンだった。必勝のパターンだ。

みじん

たいくう

けんこうこつ ひじてつ

ろてい あせ

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頭に肘鉄を入れられた、そちら側の腕を――感覚的に、左――いや、裏返っているから、右

腕か、右腕をつかんで、その位置から、再度、やり直しの一本背負い――!

今度は――決まった。

八九寺は背中から地面に、叩きつけられた。

反撃に備えて距離を取るが――

起き上がってくる様子はない。

僕の勝ちだった。

「全く、馬鹿な奴め――小学生が高校生に勝てるとでも思ったか! ふはははははははは

は!」

小学生女子を相手に本気で喧嘩をして、本気の一本背負いを決めた末に、本気で勝ち誇って

いる男子高校生の姿が、そこにはあった。

ていうか僕だった。

阿良々木暦は、小学生女子をいじめて高笑いをするようなキャラだったのか……自分に自分

でドン引きだった。

「……阿良々木くん」

冷めた声をかけられた。

振り向くと、そこには戦場ヶ原がいた。

見ていられなくなって、寄ってきたらしい。

とても怪訝そうな顔をしていた。

「地獄まで付き合うとは言ったけれど、それは阿良々木くんの小ささにであって、痛さとか、

そういうのはまるっきり別だから、そこのところを勘違いしないでね」

「……言い訳をさせてください」

「どうぞ」

「……………………」

言い訳なんかなかった。

どこを探しても出てこない。

というわけで、仕切りなおす。

「まあ、過去のことはとりあえず置いておいてだな、こいつ――」

倒れたまま起き上がらない八九寺を指さして、僕は言う。まあ背中から落ちたのだから、背

負っているリュックサックがいいクッション代わりになっているはずだ、大丈夫だろう。

「なんか、道に迷っているっぽいんだよ。見たところ、親とか友達とかと一緒にいる風でもな

いし。あー、僕、朝から結構長い間、この公園にいるんだけどさ、こいつ、戦場ヶ原がここに

そな

けげん

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来る前にも一度、ここで、この看板を、見てたんだ。そのときは別に何とも思わなかったんだ

けれど、それから時間経ってまた戻ってきたってことは、本格的に迷ってるってことだろ?

誰か心配してる人がいたら厄介だろうし、なんか力になれるかなって思って」

「……ふうん」

戦場ヶ原は、とりあえず頷きはしたものの、怪訝そうな顔つきは変わらなかった。まあ、そ

の結果どうして取っ組み合いの喧嘩になるんだと、訊きたい気持ちも山々だろうが、それにつ

いては何とも言えない。戦士と戦士の魂が呼応したのだとしか言いようがない。

「そう」

「うん?」

「いえ、なるほど……事情はわかったわ」

本当にわかってくれたのだろうか。

わかった振りをされているだけだったりして。

「あ、そうだ、戦場ヶ原。お前、この辺に昔住んでたんだよな? だったら、住所とか、聞い

たらある程度、わかるだろう?」

「そりゃ、まあ……人並みには」

歯切れが悪い。

僕のことを、ひょっとしたら本当に児童虐待者として見ているのかもしれなかった。それは

あるいは、ロリコンよりも、更に一段階酷い評価であるように思われた。

「おい、八九寺。お前、本当は起きてるんだろ、気絶している振りなんかしやがって。さっき

のメモ、このお姉ちゃんに見せてみろ」

しゃがみこんで、八九寺の顔を覗き込む。

白目を剥いていた。

……本当に気絶してる……。

少女の白目って、マジで引く……。

「どうしたの……? 阿良々木くん」

「いや……」

戦場ヶ原にばれないように、こっそりと自分の背で八九寺の顔を隠すようにして、さりげな

く、八九寺の頬を二、三回、はたいた。暴力に暴力を重ねているのではなく、勿論、気付けの

ためだ。

その結果、八九寺は眼を覚ます。

「ん……なんだか夢を見ていました」

「へえ、そうなんだあ。どんな夢だい?」

やっかい

たましい

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体操のお兄さん風に応じてみた。

「聞かせてよ、八九寺ちゃん。一体、どんな夢を見てたんだい?」

「凶悪な男子高校生に虐待される夢です」

「……逆夢って奴かな」

「なるほど。逆夢ですか」

明らかに気を失う直前の現実だった。

後ろめたさで胸が張り裂けそうだった。

八九寺からメモを受け取って、それをそのまま、戦場ヶ原に手渡す――が、戦場ヶ原はそれ

を受け取ろうとはしなかった。差し出された手を、氷点下よりも冷たい眼でじっと、見てい

る。

「なんだよ。受け取れよ」

「……なんだかあなたには触りたくないわね」

ぐっ。

聞きなれたはずの毒舌が、えらくこたえる……。

「メモを受け取るだけだろうが」

「あなたが触ったものにも触りたくないわ」

「…………」

嫌われちゃった……。

戦場ヶ原さんに普通に嫌われちゃった……。

あれえ……おかしいなあ、さっ

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