いなかった。
しかし――なかなか、視線を移さず、その方向、その場所を見続けている戦場ヶ原のその態
度からは、あるいは、確かに、彼女の内面で行き場をなくしている、そんな頼りない感情を、
読み取ろうと思えば、それは、読み取れるのかもしれなかった。
「本当に――すっかり変わっちゃったわ。たかだか一年足らずだというのに、なんてことかし
ら」
「………………」
「つまらないの」
折角来たのに。
そう呟いた。
本当につまらなさそうに。
ともあれ、これで、戦場ヶ原が今日、新しい服の慣らしとやらと並んで、この辺りにまで
やってきた大きな目的の一つは、これで果たされてしまったということなのだろう。
振り向く。
八九寺真宵は、僕の脚に隠れるようにしたまま、そんな戦場ヶ原のことを窺っていた。警戒
するように、無口になっている。子供ながらに、あるいは子供であるがゆえに、僕よりも戦
場ヶ原の方が危険人物だということが直感できたのだろうか、さっきからずっと、こいつは僕
を壁にする形で、戦場ヶ原を避けているのだった。まあ、人間が人間を壁になんかできるわけ
がないのでバレバレだし、しかもそのせいで、戦場ヶ原を露骨に避けていることが見え見えな
ので、それは第三者的にも状況としては気分が悪いくらいだったが、それでも、戦場ヶ原の方
も、お子様の八九寺を全く相手にしていないようなので(『こっちよ』とか『この道を行く
の』とか、僕に向けてしか言わない)、まあ、お互い様だった。
つぶや
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間に挟まれた僕はたまったものではないが。
もっとも、さっきからの様子を見ていると、戦場ヶ原の場合、子供が嫌いとか子供が苦手と
か言うより、ただ、よくわからない――みたいな反応のようにも、思えるけれど。
「売っちゃったわけだし、家が残っているとは思っていなかったけれど……まさか道になって
いるとはね。これはさすがに、結構ブルーだわ」
「まあ……、そりゃそうだよな」
それには同意するしかなかった。
想像するに余りある。
公園からここまでの道程にしたって、古い道路と新しい道路が入り混じって、あの公園の看
板にあった案内図、住宅地図と、全く違う様相を呈しているというのだから――この辺りに特
に思い入れのない僕だって、何か、モチベーションが削がれていくような気分だった。
仕方のないことだけれど。
人が変わるように、町並みも変わるのだ。
「ふうっ」
戦場ヶ原は、大きく息をついた。
「どうしようもないことで時間を取らせてしまったわね。行きましょうか、阿良々木くん」
「ん……もういいのか?」
「いいのよ」
「あっそ。じゃ、行くぞ、八九寺」
八九寺は無言で、こくんと頷いた。
……ひょっとして、声を出すと戦場ヶ原に居場所がばれるかもしれないと思っているのかも
しれなかった。
一人、さっさと足を進める戦場ヶ原。
それを追う、僕と八九寺。
「ていうか、いい加減に僕の脚から離れろよ、八九寺。歩きにくいんだよ。全く、ダッコちゃ
んみたいにしがみつきやがって。こけたらどうすんだ」
「…………」
「何か言えよ。黙ってないで」
そう強要すると、八九寺は、
「わたしだって、阿良々木さんのいかつい脚になんて、しがみつきたくなんかありませんっ」
と言った。
無理矢理引き剥がした。
てい
そ
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べりべりべりっと、音――は、しなかったが。
「酷いですっ! PTAに訴えますっ!」
「へえ。PTAに」
「PTAはものすごい組織なんですよっ! 阿良々木さんみたいな何の権力も持たない未成年
の一市民なんてっ、指先一つでポポイのポイですっ!」
「指先一つか、そりゃ怖いな。ところで八九寺、PTAとは何の略なんだ?」
「え? それは……」
わからないのだろう、再び黙り込んでしまう八九寺。
僕にもわからないけれど。
まあ、面倒な議論に発展せずに済んだ。
「PTAというのは Parent-Teacher Association の略よ。親と教師の会という意味ね」
前方の戦場ヶ原から答が来た。
「経皮経管的血管形成術という医学用語の略でもあるけれど、阿良々木くんがそんなものを求
めているとは思えないから、この場合は親と教師の会で正解でしょう」
「へえ。漠然と親の集まりって意味なんだろうと思ってたけれど、教師も会には含まれてるの
か。戦場ヶ原、さすがに博学だな」
「あなたが浅学非才なだけよ、阿良々木くん」
「語呂がいいから浅学と言われるのには文句はないが、しかし非才はこの場合余計では……」
「そうかしら。じゃあ悲惨と言い換えておくわ」
振り向きもしない。
なんだか、機嫌が悪いな……。
普通の人が見たなら、普段の毒舌を振りまいている戦場ヶ原と今の戦場ヶ原、どう違うんだ
という感じだろうけれど、僕ぐらい戦場ヶ原から暴言を浴びせ続けられていると、その違い
が、なんとなくわかる。言葉にいまいち切れがないのだ。普段、あるいは機嫌のいいときの戦
場ヶ原は、むしろ畳み掛けてくる。
うーん。
なんだかなあ。
家が道になってたからか――それとも、僕のせいか。
両方、ありそうだった。
どちらにしても、児童虐待云々はともかくとして、戦場ヶ原との会話を途中で打ち切る形
で、八九寺のことに絡んじゃったからなあ……流れだったとは言え、それに付き合わされる戦
場ヶ原としては、普通に考えれば、内心穏やかじゃないだろう。
ばくぜん
せんがく
うんぬん
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ま、そういうことなら、この女児、八九寺真宵をさっさと目的地まで送り届けてやって、そ
れから、頑張って、戦場ヶ原の機嫌取りでもやらせてもらうことにしよう。昼ご飯でもおごら
せてもらって、戦場ヶ原のショッピングにも付き合わせてもらって――それで時間が余れば、
どこか遊べる場所にでも行こう。そうだな、うん、よし。妹のことがあるので家には帰りにく
いし、今日は一日、戦場ヶ原に奉仕するために費やすとしようじゃないか。幸い、手持ちは結
構あるし――ってなんだこの奴隷根性!
自分でびっくりした。
「ときに、八九寺」
「なんでしょう、
阿良々木さん」
「この住所――」
メモをポケットから取り出す。
まだ八九寺に返してなかったのだ。
「――の、場所には、一体何があるんだ?」
それに。
何をしにいくのか、だ。
道案内をする立場として、それは聞いておきたい――まして、小学生女子の一人旅ともなれ
ば、尚更だった。
「ふーんだっ。話しませんっ。黙秘権を行使しますっ」
「………………」
本当に生意気なガキだな、おい。
子供が純真無垢だなんて、誰がいったんだろう。
「教えねーと、連れていってやんねーぞ」
「別に頼んでませんっ。一人で行けますっ」
「でもお前、迷子だろ?」
「だったら、なんですかっ」
「いや……八九寺、あのな、後学のために教えてやるけれど、そういうときは、誰かを頼れば
いいんだよ」
「自分に自信が持てない阿良々木さん辺りはそうすればいいですっ。気の済むまで他人を頼っ
てくださいっ。でも、わたしはそんなことを