9
後日談というか、今回のオチ。
翌日、いつものように二人の妹、火憐と月火に叩き起こされた。起こしにきたということ
は、どうやら、無条件降伏に近い謝罪の言葉が効を奏したらしく、二人の怒りは無事に解けた
ようだった。それとも、今年は結局、何もできなかったわけだけれど、来年の母の日は家の敷
地内から絶対に出ないという約束を交わしたのが、よかったのかもしれない。とにかく、月曜
日。何のイベントもない、最高の平日。軽く朝御飯を食べて、学校へ向かう。マウンテンバイ
クではなく、ママチャリで。戦場ヶ原も今日から出席しているはずだと思うと、ペダルを漕ぐ
足も、自然、軽かった。けれど、道中、まだそんなに距離を稼いでいない下り坂で、よたよた
と歩いていた女の子と衝突しそうになって、僕は慌てて、急ブレーキをかけた。
前髪の短い、眉を出したツインテイル。
大きなリュックサックを背負った女の子だった。
「あ……、阿々良木さん」
「入れ替わってるからな」
「失礼。噛みました」
「何してんの」
「あ、いえ、何と言いますか」
なまはんか せん
せいこく
そう
あわ
201
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
女の子は、隠れ身の術に失敗した忍者みたいな戸惑いの表情を見せてから、照れ笑いを浮か
べる。
「えーっとですねっ、わたし、阿良々木さんのお陰で、無事に地縛霊から浮遊霊へと出世しま
したっ。二階級特進というわけですっ」
「へえ……」
ドン引き。
いくら軽薄なお調子者とは言え、一応は専門家の忍野が聞いたら、あいつでも多分卒倒して
しまうだろうと思われる、いい加減というか適当というか、素敵滅法な論理だった。
ともあれ、その子とは積もる話もないではなかったが、とりあえず出席日数のことを常に考
えるべき立場にある僕としては、遅刻しないように学校へ行かなくてはならなかったので、こ
こでは二、三、言葉を交わすだけに留め、
「んじゃ」と、サドルに跨り直す。
そこで言われた。
「あの、阿良々木さん。わたし、しばらくはこの辺り、うろうろしていると思いますから―
―」
その女の子から、そんなことを。
「見かけたら、話しかけてくださいね」
だから、まあ。
きっとこれは、とてもいい話なのだろう。
202
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
第三話 するがモンキー
001
神原[#底本「かんばる」ママ]駿河といえば学校内で知らない生徒が一人もいないほどの
抜きん出た有名人であり、当然ながら僕も何度となく聞いたことがある名前だった。いや、単
純に有名人というならば、僕のクラスメイトであるところの羽川翼や戦場ヶ原ひたぎだって、
ひょっとしたら彼女に引けを取らないのかもしれないが、しかしそれは、三年生という僕達の
属する学年に限っての話である。そう、神原駿河は僕や羽川翼や戦場ヶ原ひたぎよりも一つ
下、二年生でありながらにして、三年生の、それもそういう噂めいたことにはかなり疎い方で
ある僕のいる地点にまで届くほどの、並外れた名声を得ているということなのだ。これは普通
に考えて、ちょっとないことである。若いのに大したものだなんて大物ぶってお道化るにして
も、ちょっとばかり言葉が真に迫り過ぎているというべきだろう。
また、神原駿河の場合、有名人と表現するよりはスターと表現した方が、その含むニュアン
スが正確に伝わるかもしれない。羽川翼や戦場ヶ原ひたぎが、後者の人物のその実態はともか
くとして、いわゆる優等生、成績優秀品行方正な真面目な生徒として認識されているのとは違
い、彼女の場合、そういうイメージでは全くない――無論、スターというからには、荒くれ者
のスケ番として名を馳せているということでもない。羽川翼と戦場ヶ原ひたぎが極めているの
が主に勉学方面であるのとは対照的に、彼女が極めている道はスポーツの道なのだ。神原駿河
はバスケットボール部のエースなのである。一年生、入学したての頃から、あっと言う間にレ
ギュラー入りし、それはそれだけなら入部した先が名も知れぬ、弱小というのも恥ずかしい万
年一回戦負け女子バスケットボール部だったからと理由付けが可能かもしれないが、その後の
最初の公式戦から、その名も知れぬ、弱小というのも恥ずかしい万年一回戦負け女子バスケッ
トボール部を、いきなり全国大会にまで導いた、怪物的な伝説を築き上げてしまったとなれ
ば、これはスター扱いされない方がおかしいというものだ。一体なんてことをしてくれるんだ
と逆に責めたくなってしまうくらい、まさに『築き上げてしまった』というほどの、それは、
唐突な伝説だった。近隣の高校の男子バスケットボール部から練習試合の申し込みが、冗談で
なくあるくらいの強豪チームに、我が校の女子バスケットボール部は、勃発的に成り上がって
しまったというわけだ――たった一人の女生徒の力によって。
取り立てて背が高いというわけではない。
かんばる するが
どけ
は
ぼっぱつ
203
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
体格も普通の女子高生クラスだ。
むしろ、ちょっと小柄、痩せ型なくらい。
たおやかという表現がぴったりくる。
しかし神原駿河は――跳ぶ。
僕も去年、一度だけ、何かの付き合いで神原駿河の出場する試合を、少しばかり観戦したこ
とがあるが――とにかくはしっこくすばしっこく、敵のディフェンスを抜くというよりはすり
抜けるようにかわし、そして、かつて日本中を席巻したあの少年漫画のように、軽やかにダン
クシュートを決めるのだった――楽々と、余裕で、爽やかなスポーツ少女の笑顔を浮かべたま
ま、とても気持ち良さそうに、何連続と、何十連続と。シュートは両手で打つのが基本である
女子バスケットボール部の試合において、まさかのダンクシュートなんて、一体、どれだけの
高校生が目撃できるというのだろうか? 一観客の身としては、彼女の凄みに圧倒されるとい
うよりは、彼女の凄みに圧倒されてあからさまにやる気を失っていく敵チームの選手達があま
りにも哀れで見ていられなくなって、見ていていたたまれなくなって、そっと、その場を離れ
ることしかできなかったことを、全くもって、よく憶えている。
とにかく、いくら僕らの通う高校が勉学メインの進学校であるとはいっても、それでも十代
半ばの多感な若者の集う高等学校であることには間違いがなく、ただ勉強ができる優等生めい
た生徒よりも、見た目に派手なスポーツの英雄の方が注目を浴び易いのは、当然の帰結だろう
――神原駿河が何をした、何に対してどういう行動を取った、なんて、いちいちどうでもいい
と思えるような、いちいちどうでもいいとしか思えないようなことが、風評となって、学校中
を駆け巡るのだった。それらの風評を全て収集すれば、一冊の本が書けてしまうくらいであ
る。特に興味がなくとも、どころか、あえてそれを避けようとしてさえ、神原駿河の情報は、
入ってきてしまうのだ。僕らの学校の生徒ならば学年を問わず、先輩後輩を問わず、誰だって
その気になれば、彼女が今日、学食で何を食べたかを突き止めることすら、可能だろう。簡単
である、その辺