原の家であることは間違いないの
だろうけれど、なんだか、中に入ることを躊躇してしまう、重厚な空気のある屋敷である。
とはいえ、入らないわけにはいかない。
社会科の見学授業でどこかの神社仏閣でも訪れたかのような、そんな名状しがたい気分を味
わいながら屋敷内にお邪魔して、ししおどしの見える庭に面した廊下を歩いた先の、神原の部
屋へと、障子を引いて、通された。
……よくこんな部屋に、大して親しくもない学校の先輩を通せたものだなというような、そ
んな有様の部屋だった。
布団は敷きっぱなし、服は脱ぎ散らかしっぱなし(下着含む)、本は教科書も小説も漫画も
含めて裏向きに開かれてあったりなかったり、倉庫でもあるまいし段ボール箱が部屋の端に山
積みで、何より酷いのは、ゴミがゴミ箱にも入れられず、その辺の畳の上に無造作に、あるい
かおく
いか
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は精々、近所のスーパーのビニール袋に詰め込まれ、ただ放置されていることだ。いや、どう
やらこの部屋には、そもそもゴミ箱という概念を与えられている容器が存在しないようであ
る。
十二畳ほどの広い部屋のはずなのに。
足の踏み場もなく、まず一歩が踏み出せない。
「散らかっていて申し訳ないな」
振り向いて、胸の前に右手を置き、邪気なくにっこりとした笑顔で、神原駿河は、はきはき
とそう言った。なるほど聞きようによっては状況に即した言葉なのかもしれないが、しかしそ
の台詞は、整理整頓がある程度しっかりとされた部屋に人を通すときに謙遜で言う言葉だと、
僕は思った。
上は洪水下は大火事、なーんだ。
言いえて妙だった。
うわあ……。
生理用品まで転がってやんの……。
僕は思わず目線を伏せる。
見ていたら、もっと見たらいけないものが、ごろごろ出てきそうな気がする……自分に自信
があるのは立派なことだとは思うが、それは羞恥心がないのとは違うぞ、神原駿河……。
ああ。
そういうところ、戦場ヶ原に通じるのな……。
もっとも戦場ヶ原の場合、部屋の中にはホコリ一つ落ちていなかったのだけれど……こい
つ、性格のこともそうだけれど、中学時代の戦場ヶ原のパーソナリティから多大なる影響を受
けて、その所為で却ってキャラクターが駄目になっちゃっているような気がする。
「遠慮しなくていいんだぞ? よく知らない女の子の部屋に入るのに躊躇する阿良々木先輩の
繊細さには素直に感じ入るが、今はそんな場合でもないだろう」
「……神原」
「なんだ?」
「今がそんな場合じゃないのは重々わかっているんだが……それでも頼む、お願いがある」
「いいぞ。なんでも言ってくれ。阿良々木先輩の頼みを断る私ではない」
「一時間、いや、三十分でいいから……僕にこの部屋を掃除するための時間をくれ。それか
ら、でかいゴミ袋を」
別に潔癖症のつもりはないけれど……僕だってそこまで、自分の部屋を綺麗にしているわけ
じゃないけれど、これはあまりに酷い……残酷とすら、言っていい。神原は、僕が一体何を
せいとん けんそん
せい
そうじ
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言っているのかまるで理解できないというようにきょとんとしていたが、しかし、逆に言えば
特に反対する理由もなかったのだろう、「わかった」と、ゴミ袋を取りに行ってくれた。
中略。
と、いうか。
無論、神原の部屋の惨状は三十分程度でどうにかなるような生易しいものではなかったが、
それに、そうはいってもやっぱりよく知らない女の子の部屋ということで、倫理的あるいは道
義的に手をつけていいところと駄目なところがあったので、散らばっているゴミを一つにまと
め、本や雑誌を整理する(といっても、神原の部屋には本棚がないので、大きさ別に積み上げ
るだけだが)程度の、四角い部屋を丸く掃くようなある種適当、いい加減な清掃活動だったけ
れど、それでも最後に、布団を畳んで押入れに仕舞い込み、衣服を折りたたんで隅に寄せれば
(箪笥どころかハンガーすらもなかった)、なんとか見られるくらいにはなったというか、少
なくとも、僕と神原が座って向かい合えるくらいのスペースを作ることはできた。
「見事だな、阿良々木先輩。私の部屋の畳とはこういう色をしていたのか。床が見えたことな
ど、果たして何年ぶりだろうな」
「年単位なのかよ……」
「感謝する」
「……話がついたら、一日がかりで……いや、泊りがけで片付けようぜ、この部屋……今度は
本格的に、洗剤とか染み抜きとか、一式揃えて持ってくるからさ……」
「気を使わせてしまって申し訳ないな、阿良々木先輩。私はバスケットボールくらいしか取り
柄のない女だから、こういう、片付け後片付け、始末後始末みたいな行動は不得手なのだ」
「…………」
自信たっぷりなにこにこ笑顔でそんなことを言われても困る……。三十分間、全く手伝おう
とする素振りを見せず、廊下でつくねんと所在なさげにしていたところを見ると、神原は面倒
とか横着とかそういうことではなく、本当に整理整頓が苦手なのだろうが、しかしそれでも、
別に僕の関知すべきところではないけれど、神原をスター扱いしている学校の連中には、絶対
に見せられない、見せてはいけない景色だったことは間違いがない。こいつ、まさかクラスの
友達とか、家に呼んでないだろうな……友達ならまだしも部活の後輩とかだったら、最悪、ト
ラウマになってしまうぞ。ゴミ袋に詰めたものの中には、炭酸飲料の握りつぶされた空き缶や
スナック菓子の袋とかインスタント食品のカップとかも少なからず混ざっていたし……全国大
会クラスのスポーツ少女がそんなもん飲み食いしてんじゃねえよ。
有名人のちょっと抜けてる的なエピソードというのは、むしろ好感を持たれる理由になるこ
ともあるのだが、この場合、どう考えても行き過ぎだった。どう頑張っても、そのキャラク
さんじょう
たた
おうちゃく
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ターには、萌えられない……。
「じゃあ――さて」
明日のこと。
つまりは金曜日から翌日。
土曜日のこと。
世間では週休二日制が当たり前の習慣になって久しいが、僕らの通う私立直江津高校は名の
知れた進学校、土曜日にも普通に授業がある。明日のことが今日のことになっても、結局のと
ころ僕は結論を出すことができず、だから一時
間目と二時間目の間の休み時間を使って、僕は
二年生の校舎に向かった。何分相手は有名なスターのこと、どのクラスかなど、調べるまでも
ない。二年二組。三年生が教室を訪ねてきたということで、にわかにクラスは騒然となったが
(最上級生になった身としては、今やそれは懐かしくも新鮮な感覚だった)、さすがに神原は
――神原駿河は、堂々とした風格で、廊下で待つ僕のところに、大股で歩いてきた。
「やあ、阿良々木先輩」
「よう、神原。お前に少し用があるんだけれどさ」
「そうか。ならば」
神原は何も質問を返さず、ただ答える。
まるで、予定調和のように。
「放課後、私の家まで、付き合って欲しい」
で――
神原駿河の家、日本家屋である。
話をするだけならば、別に神