第79章

が私のためを思って言ってくれているのだと考えると、素直に受け入れられる

のだから不思議なものだ」

「で……それから、その灰色の百合生活で、どうなったんだ?」

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「うん。その一年間で、私は今更のように、私にとって、戦場ヶ原先輩がどれほどに大きな存

在だったのかを、知った。案外、一緒にいた二年間よりも、離れていた一年間の方が、私には

よっぽど重かったのかもしれない。だから、もしも直江津高校に受かって、戦場ヶ原先輩と再

会できたら、告白するつもりだったのだ。それを目標に、私は受験勉強に明け暮れた」

神原は言った。

自信たっぷりの態度はいつものままだったが、しかし心なし、頬が上気している。どうや

ら、これは単純に照れているらしい――やばい、ちょっと可愛い。ストーキングされていると

きは面食らい混乱するばかりだったが、ここで初めて僕は、神原駿河のことを、本当に可愛い

後輩だと思えた。ああ、僕の中に、百合という、新たな萌え領域が芽生えようとしている…

…。

なんだか、もう、神原の左腕のけだものの手がどうでもよく思えてきた……違う、ストー

リーの本筋は、あくまでその腕のはずなんだ……。

「飴どころじゃない。ガムだ。戦場ヶ原先輩のかんだガムならかめるぐらい、私は戦場ヶ原先

輩に惹かれていたのだ」

「基準が全くわからねえ……」

もっといい言い回しでちゃんとたとえろ。

「けれど」

と――そこで、露骨に声のトーンを落とす神原。

「戦場ヶ原先輩は、変わってしまっていた」

「ああ……」

「変わり果てて、いた」

蟹。

蟹と出会った――戦場ヶ原ひたぎ。多くのものを失い、多くのものを捨て、多くのものを無

くし――全てを拒絶した、戦場ヶ原ひたぎ。羽川がそうだったけれど、中学時代の彼女を知っ

ている者からすれば、それは別人と見まごうばかりの、変貌だったに違いない。まして、戦

場ヶ原を信奉していた立場の神原からすれば――信じたくないほどの変貌だっただろう。

自分の目で見たものを、信じられないほどの。

「高校生になってから、重い病気を患ったということは、聞いていた――長患いで、陸上をや

めてしまったことも、聞いていた。そこまでは、事前に、知っていたのだ。でも、あそこまで

変わってしまっているとは――思いもしなかった。悪い噂だと思っていた」

重い病気、ね……。

まあ、決して、その解釈が間違ってるわけでもないんだけれど……あれは戦場ヶ原にとっ

しんぽう

わずら

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て、結局のところ、今もなお完治していない、痼疾のようなものなのだから。

「しかし――違った。噂自体は確かに真相を外してはいたが、そんな噂どころじゃなかった。

戦場ヶ原先輩の身体には、もっと大変なことが、起きていた。私は、それに気が付いて――何

とかしなければ、と思った。戦場ヶ原先輩を助けなければと思った。だってそうだろう? 私

は中学生の頃、戦場ヶ原先輩にすごくお世話になったのだ。受けた恩を忘れたことはない。学

年も部活も違ったけれど、戦場ヶ原先輩は、私に、とても優しくしてくれたんだ」

「その優しさは……」

その優しさは戦場ヶ原にとって、どのような意味を持っていたのか――なんていうことは、

この場面で、言うようなことでも、聞くようなことでも、ないのか。

「だから私は、戦場ヶ原先輩を助けようとしたんだ――助けたかったんだ。だけど、それは、

取り付く島もなく、拒絶された」

「そっか……」

さすがに、どういう風に拒絶されたのかまでは、教えてくれないだろうな。それは多分、戦

場ヶ原を庇ってのことだろう……神原は、戦場ヶ原について悪口らしきことを、絶対に何が

あっても、口が裂けても口にしたくないはずだから。

やはり、僕と同じような目に、僕以上の酷い目に、遭わされたのだろうことは、容易に推測

できるけれど……正直、それは僕も聞きたくない。

僕のためにも、神原のためにも。

戦場ヶ原のためにも。

ホッチキス。

「なんとかできると、思った」

慚愧の念に堪えないというように――心の底から悔いているような雰囲気を漂わせつつも、

それでも気丈に、無理にさばさばとした風を装って、神原は言う。

「戦場ヶ原先輩の抱えているものを、私がなんとかできると思った。原因を取り除くことはで

きなくとも、現象を改善することはできなくとも、そばにいるだけで――戦場ヶ原先輩の心

を、癒すことができると思っていた」

「…………」

「お笑い種だったな。おめでたい女だった。今から考えれば、滑稽千万だ」

だって、戦場ヶ原先輩は、そんなこと、ちっとも求めてなかったんだから――

と、神原は下を向く。

「あなたのことなんて友達とも思っていなければ後輩とも思っていない――今も昔も。そんな

ことを、はっきり言われた」

こしつ

ざんき く

いや

ぐさ こっけい

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「まあ……」

言うだろうな、当時のあいつなら。文房具以上の凶器として、あの辛辣な暴言毒舌を、戦

場ヶ原ひたぎは持ち合わせていたのだから。

「最初は、じゃあ戦場ヶ原先輩は私のことを恋人と思っていてくれたのかと思ったが、しか

し、そうではなかった」

「ポジティヴだったな」

「うん。続けて、よりはっきり言われた。あなたのような優秀な下級生と仲良くしておけば自

分の評判が上がるから、そのために仲良くしてあげていただけだ、面倒見のいい先輩を演じて

あげていただけだ――と」

「……酷いことを言うなあ」

傷つけるのが目的で――

自分から離れさせるのが目的だから――

でも、戦場ヶ原は昨日、神原のことをあの子と呼んで、中学時代の私の後輩だと言い、今は

違うと言いつつも、中学時代の友達だったことは認めていた。それは、僕にとって都合のいい

解釈なのかもしれないが、でも――それでも、だ。

「優秀な下級生と言われたのは嬉しかったけれど」

ポジティヴだった。

徹頭徹尾。

「でも――私は自分の無力さを思い知った。そばにいるだけで癒せるなんて、思い上がりも甚

だしかった。戦場ヶ原先輩はむしろ――そばに、誰もいて欲しくなかったのだ」

独りが寂しくない人間は――実在する。

普通に考えれば、戦場ヶ原は、間違いなくその部類

だろう――少なくとも、無意味に大勢で

いることをよしとする人間では、そもそも、なかったのだと思う。人当たりがよかった中学時

代ですら、戦場ヶ原は内心で、そう思っていたに違いないだろう――けれど。

独りが寂しくない、と。

独りでいたいは、違う。

人付き合いが嫌いなのと、人間嫌いが違うように。

「だから私は、それ以来、戦場ヶ原先輩には、近付かなかった。それが、戦場ヶ原先輩が私に

望んだ、唯一のことだったからな。勿論、戦場ヶ原先輩のことを忘れることなんてできるわけ

がなかったけれど――でも、私が身を引いて、何もしないことで、私が戦場ヶ原先輩のそばに

いないことで、少しでも戦場ヶ原先輩が救われるというのなら――それを私はよしとできる」

「……お前」

しんらつ

てっとうてつび

はなは

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