第78章

きないというか――」

「トランス」

その説明に、僕は割り込んだ。

「トランス状態――って奴だよ、それ。知ってる……人間に憑依するタイプの怪異は、肉体と

精神を、ざくざくに陵辱するから」

僕の場合はそれとは違ったけれど――羽川の場合は、羽川翼の猫の場合は、そうだった。だ

から羽川は、自身が怪異に接していたゴールデンウィークの出来事を、ほとんどといっていい

ほど、憶えていない。ケースとしては、今回はそれに近いということだろう――羽川のとき

も、その肉体が変態する種類の現象が起きていたし――

「物知りだな、阿良々木先輩は。そうか、怪異というのか、こういうのは――」

「まあ、僕も、とりたてて詳しいというわけじゃないんだが。ただ最近、どうしてなのかそう

いう経験をすることが多くて、それに、そういうのに詳しい奴が――」

忍野。

完全にこれは――忍野の領域だろう。

忍野の領分だ。

「――いて」

ひょうい

りょうじょく

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「うん。そうか、阿良々木先輩が大きな人でよかった。この腕を見せた段階で逃げ出されでも

していたら、話はできなかったからな。それに、少なからず、傷ついていたと思う」

「幸い、だから、突拍子もないことには、色々と慣れてるからさ、安心しろよ。突拍子もない

こと……戦場ヶ原のことも、勿論――な」

この分なら、僕自身が怪異に関わり、一時期吸血鬼と化していたことについても、後で説明

しておいた方が、いいようだな……本来なら、アカウンタビリティという意味では、それは先

に説明しておくのが筋かもしれないけれど、そうするためにはまだ、神原の左手の怪異につい

て、わからないことが多過ぎる。

「とはいえ、さすがにちょっと、びっくりはしたけどな。友達の小学五年生風に言うなら、

しゃっくりしたって奴か。でも、最初に一番驚かせてくれたから、この先、どんなエピソード

を聞いても、驚かない自信があるぜ」

「そうか。勿論そのために、最初にこの腕を見てもらったのだがな。一番大変なことを、一番

最初に済ませたのだ。じゃあ、いよいよ、本題に入らせてもらおうと思う」

神原は笑顔で続けた。

「私はレズなのだ」

「…………」

ずっこけた。

藤子不二雄先生の漫画みたいにずっこけた。

「ん、ああ」

そんな僕の反応を見て、神原は、「阿良々木先輩は男だから、今のでは少し言葉が露骨だっ

たかな。えーっと」と、首を傾げる。

「言い直そう。私は百合なのだ」

「一緒だ、そんなもん!」

大声を出すことで自我を保とうとする僕だった。

え? 何? どういうこと?

それで、戦場ヶ原と、中学時代に、ヴァルハラコンビとか言って? 先輩後輩で? 戦場ヶ

原は神原のことを『あの子』とか言って? ええ? 昨日言ってた、男と別れたことがないっ

ていうの、ひょっとしてそういう意味だったのか?

「ああ、それは違う。戦場ヶ原先輩のことは、私の一方的な片思いだったんだ。私にとって、

戦場ヶ原先輩は、純粋にパーフェクトで、憧れの先輩だったからな、そばにいるだけで満足

だったんだ」

「そばにいるだけで満足……」

ふじこ ふじお

ゆり

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いい言葉だけど。

それは確かにいい言葉だけど。

その前に片思いって普通に言ったよ、この子……。

八九寺、お前の中の女の部分は、全く的外れな答を導き出していたぞ……いや、落ち着け、

なんでもかんでも、頭ごなしに否定してはいけない。そうだ……今時の女の子は、案外そんな

ものかもしれないじゃないか。僕の感覚が古いだけなのかもしれないじゃないか。もっとライ

トに、もっとリベラルに、考えるべきなのかもしれないじゃないか。

「そうか、百合か……なるほど」

「うん、百合なんだ」

何故か嬉しそうな神原だった。

しかし、それにしても、なんだな……。

吸血鬼だったり猫だったり蟹だったり蝸牛だったり、委員長だったり病弱だったり小学生

だったり、猫耳だったりツンデレだったり迷子だったり、挙句の果てには百合だったり、この

世界は、なんて言えばいいのだろう、チャレンジャブルというか、貪欲だな……。

やりたい放題じゃん。

戦場ヶ原は、神原駿河がそうであるということを、知っているんだろうか……神原の言い方

から判断すれば、知らないのだろう。まあ、知っていたところで知らなかったところで、中学

時代の戦場ヶ原にしてみれば、そんなこと、それほど関係なかったと思うけれど。

陸上部のスターと、バスケットボール部のスター。

ヴァルハラコンビ。

「戦場ヶ原先輩はみんなの人気者だったけれど、私の戦場ヶ原先輩に対する想いは、その中で

も一線を画していたように思う。その自負はある。私は戦場ヶ原先輩のためなら、死んでもい

いとすら思っていたのだ。そう、言うならば、デッド?オア?アイラヴといった感じだった」

「…………」

え……、えっと?

それはうまいのかどうか、微妙なラインだぞ?

「む。私は今、なかなかどうして、面白いことを言ったな。アイラヴとアライヴと掛けるだな

んて、我ながら冴えている。そうは思わないか? 阿良々木先輩」

「ああ。最初は微妙かと思ったが、後から自分でそう付け加えてくれたことによって、僕の

ジャッジは確定したよ」

うまくない。

ともかく。

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僕は神原に、話の続きを、促した。

「続きといっても、なんだろう、別に昔のことを話しているわけではないからな。続きという

なら、今と地続きの話なのだ。そもそも、私が直江津高校を選んだのも、戦場ヶ原先輩を追っ

てのことだったのだから」

「だろうな……その話を聞くと、そうなんだろうと思うよ。その辺は驚くというよりは、納得

する感じだ」

そんなことを言ったら、取りようによってはまたぞろ神原のチームメイトを侮辱しているか

のように取られてしまうかもしれないから、言わずに心中にとどめるけれど、でも、中学時代

からバスケットボール部のエースだったというのなら、スポーツ推薦なり何なりで、もっと充

実した環境でバスケットボールができたはずなのだ。それなのに、どうして神原は、バスケッ

トボール部を含め、部活動に全くといっていいほど力を入れていない、進学

校の直江津高校に

入ったのか――その動機は何だったのかということ。

一途な思い。

というにも、真っ直ぐ過ぎる。

「戦場ヶ原先輩のなめた飴ならなめられるくらい、惹かれていた」

「…………」

それは他人に言っても大丈夫なたとえ話なのか?

「でも、阿良々木先輩。戦場ヶ原先輩が中学を卒業してしまってからの、私の中学三年生の一

年間というのは、全く、灰色でな」

「灰色か」

「ああ。灰色の百合生活だった」

「…………」

気に入ったんだね、百合って表現。

好きにしていいよ。

「灰色の脳細胞ならぬ灰色の百合生活だった」

「それは明らかにうまいこと言えてないぞ」

無理矢理会話にギャグを挟もうとするな。

著しく緊張感に欠ける。

「厳しいな、阿良々木先輩は。そのシビアな基準は私には高過ぎるハードルだぞ。でも、それ

も阿良々木先輩

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