第81章

可愛らしい奴じゃないぞ。というか、言ったけど、アロハ趣味の

おっさんだぞ。変な期待はしないでくれ。少なくとも、それらしくは見えないから、そこんと

ころだけは、心構えをしておいて欲しい」

「いや……そういうことではなく、な。字面が印象的というか、象徴的というか……、まあ、

別にいいのだが。しかし、メメとは、なんだかニックネームのつけにくそうな名前だな」

「そういえば、そうだな……子供の頃、あいつ、なんて呼ばれてたんだろうな。興味なくもな

いけれど。……ていうか、あいつの子供時代自体、想像もつかないな」

忍野の住処は、住宅街から少し離れた位置の、四階建ての学習塾跡――平たく言えば廃墟で

ある。廃墟も廃墟、肝試しでだって近付きたくないどころか、普通に生活していれば恐らく建

物という認識で目に入ることさえないだろう、風景としての廃墟である。大きな地震が来れば

多分それで完膚なきまでに全壊してしまうであろう、年季の入った廃墟だ――いや、年季と

いっても、この学習塾が駅前にできた大手予備校のあおりを食らって潰れたのは、精々数年前

のはずなのだけれど。建物とは、数年間人が使わないだけでこんな酷いことになってしまうの

だと学ばせてくれる、死に見本のような存在である。だから、住処といっても、忍野はあくま

で勝手に住んでいるだけであって、言うならば不法占拠も甚だしい。私有地、立入禁止の看板

に囲まれて、奴は春休みからこっちの二ヵ月を、送っているのである。廃墟内に残っていた机

をベッド代わりに、日がなこの町を俳徊しているというわけだ。

俳徊している。

そう、じっとしているわけではない。

だから、こうして訪ねてきてみても――奴が果たして建物の中にいるのかどうかは、出たと

こ勝負である。携帯電話もPHSも持っていない忍野に会うのは、正直、運任せの要素が強

い。

神原の日本家屋から、自転車で一時間少し。

勿論、神原なら、駆け足でも一時間少し。

僕達は、その学習塾跡を、見上げていた。

「ところで、阿良々木先輩。阿良々木先輩は、吸血鬼に襲われたとのことだったが――それが

阿良々木先輩にとって、初めての怪異……その、怪異というものだったのか?」

「まあ、多分」

ぼうだい

? ? ? ? ?

じづら

すみか

かんぷ

せんきょ

はいかい

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気付いていなかっただけかもしれないけれど。

少なくとも意識したのは、それが最初だ。

「それが春休みで、続いて、戦場ヶ原先輩に、私か……それまで何もなかったのに、ここに来

て三連続とは、何か暗示的だな」

「ああ」

実際は、羽川の分と八九寺の分を合わせて、五連続なのだけれど、その辺りの事情は、個人

情報保護の理念に基づき、それぞれのプライバシーに配慮して、ある程度ぼかして、伏せてお

くことにしたのだった。

「一度体験したら、後も体験しやすくなるもの――らしいぜ? だから僕は、この先、ずっと

そうなのかもしれないな」

「それは辛いな」

「別に……辛いことばかりでもないさ。怪異を体験したからこそ、普通でない体験をしたから

こそ、気付いたことや、得たものだって、あるはずなんだから」

そう言ったが、それがフォローのような、ともすれば論点をずらし、気持ちを誤魔化すよう

な響きになるのは、避けることができなかった。実際、辛いことばかりでもないなんて、春休

みの経験だけを思い出しても、ただ言を目一杯左右にしたようなものだと自分でも思う。その

気まずさもあって、なんとなく、神原の左手を見る――巻き直された、真っ白い包帯。その中

身は窺えないが、しかし、その正体を一度知ってしまうと、確かに、その長さやその形が、若

干不自然であることが、外側からでも、わかる。わざと同じ箇所に何重にも巻くようにして、

わかりづらくはしているようだけれど……。

「阿良々木先輩と戦場ヶ原先輩は、持ち上がりでもないのに、一年、二年、三年とクラスが同

じ仲だから、てっきり、前々からある程度は親しかったのかとばかり思っていたのだけれど―

―その話だと、つい三週間前に、初めて口を利いたということになると思うのだが」

「絶対に初めてかと言われれば、そりゃまあ、怪しいけれど……少なくとも、あいつがくだら

ないミスさえしなければ、僕はあいつの秘密には気付かなかっただろうし、まあ、付き合うこ

とも、なかったんだろうな。それに――忍野のことを知らなかったら、僕が戦場ヶ原の力にな

れることはなかったろうし……そういう意味ではたまたまだよ。都合がいいっていうか……不

都合が悪いっていうか。神原、お前が知っていたのが猿の手であって、僕が知っていたのが吸

血鬼だったっていうだけさ」

一年前、神原が戦場ヶ原の抱える秘密に気付いたというとき――神原がそれをそれほどの抵

抗なく飲み込めたのは、僕が鬼と猫をその時点で経験していたように、神原も、猿を知ってい

たから――なのだろう。だから、僕と神原との違いは、怪異に対する抵抗勢力としての忍野を

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知っていたかどうかということ。

だから、考えざるを得ない。

もしも、神原が忍野を――いや、忍野じゃなくてもいいのだけれど、戦場ヶ原に貸せるだけ

の力を持つ、テクノクラートとしての誰それを知っていて、一年前に、戦場ヶ原の抱える秘密

を、解決できていたら。今の僕の立ち位置にいるのは、僕じゃなくて、神原じゃないのか――

と。年齢や男女の違いは、とりあえず、おいておくとしたら――

たまたま、か。

巡り合わせというにしても――ただの偶然。

「気を使ってもらえるのは嬉しいばかりだが、そういうことを言わないで欲しい、阿良々木先

輩。戦場ヶ原先輩はそんな人ではないさ。恩と愛と取り違えるような人ではない。そんなの

は、ただのきっかけに過ぎないのさ」

神原は淡く寂しさを滲ませる口調で言った。

「だからこそ、悔しいのだけれどな。戦場ヶ原先輩に拒絶されたとき、私は、戦場ヶ原先輩か

ら、身を引いた。阿良々木先輩は、戦場ヶ原先輩を追いかけた。違いがあるとすれば、鬼と猿

との違いなどではなく、忍野という人を知っていたかどうかではなく、その違いだったのさ」

「…………」

決定的だな、と呟く神原。

こうして話していると、意外と自省的な奴なんだな……それは、活発で溌剌としているス

ポーツ少女という彼女のイメージとは、裏腹な個性だった。けれど、それを後ろめたさと言う

のなら、僕も神原と同様に抱えているような気がする。

なんなのだろう?

神原とこう

して話していると感じる、僕の心をちくちくと針で刺すような、この後ろめたさ

のような気持ちは――そんなことをする必要はないだろうに、ついつい、フォローみたいなこ

とを、言ってしまう。

それがますます、後ろめたい。

「うん……しかし、戦場ヶ原先輩の抱えていた問題が、既に解決していたというのは、素直に

よかったと思う。私が礼を言うのもおかしな話なのかもしれないが、阿良々木先輩には、心か

ら感謝させていただきたい」

「だから僕じゃなくて、それは忍野の奴の功績なんだけどな――いや、違うな、それも違

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