試用中
試用中
試用中
007
神原駿河の部屋を片付けたとき、炭酸飲料の握りつぶされた空き缶とかスナック菓子の袋と
かインスタント食品のカップとかに混じって、それ一つだけ異様に違和感のある、長細い拵え
の桐箱があった。時代を感じさせる色がついていて、それは神原の扱いが荒かったからだろ
う、傷だらけではあったが、分厚い、丈夫そうな箱だった。多分それは、何らかの骨董品でも
――多分花瓶でも――入れられているのだろうと、僕は思った。この日本家屋の荘厳さのこと
を考えれば、こういう代物があって、それらしいものが中に入っていてもおかしくはない。
しかし。
箱は、空っぽだった。
勿論、だからといってその箱をゴミと判断することはできず、僕はとりあえずそれを段ボー
ル箱の上に積んでおいたのだけれど、話が本題に入るくだりで、神原は、その箱に手を伸ばし
て、そして、僕との間に、物々しげに置いた。そして、この箱には何が入っていたと思う、と
訊いてきた。僕は思った通り、花瓶じゃないのかと答えた。
「阿良々木先輩でも間違うことがあるのだな……こんなことを言うと失礼になるかもしれない
が、私としてはほっとしたよ。救われたな。阿良々木先輩の人間らしさを垣間見せてもらった
気分だ」
「……で、何が入ってたんだ?」
「木乃伊だ」
神原はすぐに答えた。
「左手の木乃伊が――入っていた」
「………………」
桐の箱に入った、左手の木乃伊。
神原がそれを初めて使用したのは――小学生の頃だったという。八年前、まだ小学三年生
だったときに、母親から、この箱を、託されたらしい。
それが母親と会った最後だそうだ。
箱を渡されてから数日後――まるでそれをあらかじめ予見していたかのごとき計ったような
タイミングで、神原の両親は、交通事故で亡くなった。神原が小学校で算数の授業を受けてい
る最中に、遠く離れた高速道路における玉突き事故で、即死だったらしい。自動車が炎上して
こしら
きりばこ
こっとうひん
かびん そうごん
ミイラ
? ? ? ? ? ?
たく
303
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
しまい、遺体は酷い有様だったそうだ。
神原は、父方の祖父祖母に引き取られた。
引き取られて――今の、日本家屋に。
それまでは、両親と三人でのアパート暮らしだったそうだ――というのも、神原の父親と母
親は、駆け落ちの結婚だったかららしい。誰からも祝福されない結婚だった、という。伝統と
歴史ある家系の父親と、そういったものとは一切縁のない母親……だったとか。今時そんなこ
とがあるのかと思うような話だが、そういうことはいくらでもあると、神原は言った。
「母はそれで、随分辛い思いをしたようなのだ。父は――その風潮に逆らおうとしたみたいだ
が、無駄だった。ほとんど縁を切られていたようなものだ。実際、両親の葬式のときまで、私
は祖父祖母に、会ったこともなかったよ。名前も知らなかった――祖父祖母も、私の名前を知
らなかった。最初に訊かれたのは、私の名前だったよ」
「ふうん……」
上は洪水下は大火事。
両親のことは全く気にしなくていい。
そういうことはある――のか。
とはいえ、神原の母親との確執があったにせよ、神原は彼らにとって息子の一人娘――即
ち、自分の孫だ。引き取るのが当然ということで、神原は、それまで住んでいた土地を離れ、
当然、通っていた小学校から転校することになった。
馴染めなかったらしい。
「言葉が違ったからな。今はこの通りだが、両親と暮らしていた場所は、そう、この家から出
来る限り距離を置きたいという思いがあったのだろう、九州の端の辺りで、かなり方言が激し
くて……いじめというほどではなかったにしても、からかわれて、それで、仲良くできなかっ
た」
「えっと……その小学校は、戦場ヶ原とは違う小学校だったのか?」
「うん。戦場ヶ原先輩とは、中学からだ」
「そっか」
まあ、住所的には、そうだろうな。
羽川とも、多分、違うはずだった。
「今から考えれば、新しい環境で、周囲と不調和を起こしていたことについて、私自身に責任
がなかったとは言えない。やはり、当たり前なのだが、両親の死は、私の心に徹えていたの
だ。だから私は心を閉ざしていた。自分が心を閉ざしている癖に、周囲に対して自分に優しく
しろとは言えないよな。けれど、こんな言葉も、今だからこそ言えることで――当時の私はた
いたい
なじ
こた
304
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
だ、両親の死に、深く捕らわれていた。でも、だからといって、私は両親の思い出に浸ること
もままならなかったのだ。思い出に耽溺することさえもできなかった。なぜならば、祖父と祖
母が、父親の持ち物も母親の持ち物も、あまさず処分してしまったから。彼らは私を、両親と
は全く関係のない人間として、育てたかったようだ」
断っておくが、と神原は言った。
「祖父と祖母は、二人とも、立派な人格者だ――私は彼らを尊敬しているし、ここまで育てて
もらったことを、本当に感謝している。あくまで、彼らと両親との関係は、私の与り知らぬこ
とだというだけのことなのだ」
そうなのだろう。
単なる確執というのには、時間が経過し過ぎている。
そして、だからこそ神原に残された両親の思い出は、ただ自分の記憶の中にあるそれだけ
と、あとは、そう、母親から託された、その桐箱しか、なかったのだという。
厳重に封こそされていたものの。
開けるなとは言われていなかった。
だから開けた。
木乃伊の左手。
ただし、その頃は――その木乃伊の左手は、手首までしかなかったらしい。箱の中には、母
親からの手紙が一緒に、入っていた。いや、手紙と言えるほど内容のあるものではなかったよ
うだ――その左手の、単なる取り扱い説明書だったらしい。
願いを叶えてくれる道具だと。
どんな願いでも叶えてくれる。
三つだけ願いを叶えてくれる。
そういう、アイテムなのだと。
当時、学年が一つ上がって小学四年生、九歳だったのか十歳だったのか――どちらにして
も、そういう夢物語を信じるかどうかといえば、微妙な年齢だろう。ぎりぎりセーフか、ぎり
ぎりアウトか、どちらかだ。サンタクロースを信じている子供の割合が、半々くらいになる年
齢ではないだろうか? それとも、それは僕くらいの世代から見る、幻想という奴だろうか…
…少なくとも僕は、小学四年生のとき、サンタクロースの存在は信じていなかったと思うけれ
ど、でも、ドラえもんの秘密道具は信じていたかもしれない。
神原は――半々のボーダーライン。
つまり、半信半疑のそのままに、少女雑誌に掲載されているおまじないでも試す程度の、い
うならば軽い気持ちで、その木乃伊に、『お願い』をしたそうだ。
たんでき
あずか
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
305
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
一つ目の願いの内容は何でもよかった。
おまじない程度の気持ちだったから。
まずは、試しだったから。
「もし一つ目がうまくいったときの、二つ目の願いは、決まっていたけどな――」
と、神原は言った。