み
351
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
いから――ではないことは、確かだった。
「冗談じゃないわよ。薄っぺらい自己犠牲の精神なんて、これっぽっちもお呼びじゃないわ。
阿良々木くんが死んだら、私はどんな手を使ってでも神原を殺すに決まっているじゃない。
私、確かにそう言ったわよね? 阿良々木くん、私を殺人事件の犯人にするつもり?」
……お見通し。
全く、情の深い女だ。
うかうか死ぬこともできないってのか。
一途なくらいに――歪んだ愛情。
「私が何より気に食わないのは、阿良々木くんが、たといそんな身体じゃなくとも、同じ行為
に身を投じていただろうということが、はっきりとわかってしまうことよ。不死身の身体にお
んぶにだっこでこんな馬鹿なことをやっているのだったら、どうぞお好きなようにという感じ
なのだけれど、阿良々木くんときたら当たり前みたいに、流れのまにまにそんな有様になって
しまって――もう、さっぱりね」
「…………」
「まあ、大きなお世話も余計なお節介もありがた迷惑も、阿良々木くんにされるなら、そんな
に悪くはないのかもしれないわ――」
戦場ヶ原は、最後まで僕に一瞥もくれないままに、倒れた姿勢のまま起き上がろうとしない
雨合羽に向かって、ずいっと一歩を、踏み出した。雨合羽は、まるで戦場ヶ原に怯えているよ
うに、倒れた姿勢のままで、後ろに這いずる。
怯えているように……。
怯えているように……どうして?
そういえば――言われてみれば、昨夜のときも、そうだった。雨合羽は、僕をぶっ飛ばした
ところで、突然、去っていった。それは戦場ヶ原が、忘れ物の封筒を持ってその場に現れたか
らだ……けれど、戦場ヶ原が現れたからといって、どうしてそれが雨合羽の逃げる理由にな
る? 考えてみれば、それはとても不自然なことではないか。あれが『人間』の通り魔だった
り『人間』の殺人鬼だったりしたなら、自然なことだろう――しかし、『怪異』が目撃者を気
にする理由なんかあるわけもない。そもそも、雨合羽の左腕の腕力があれば、戦場ヶ原一人程
度、何の障害にもならないはずなのに。
なら、どうして逃げた。
現れたのが戦場ヶ原だったからか?
どういうことなんだ?
本当に愛の力なのか?
ぎせい
せっかい
いちべつ
352
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
ご都合主義にも、神原駿河の、戦場ヶ原を想う気持ちは、悪魔をも凌ぐというのか……一途
な想いは世界そのものである怪異も押しのけ、地から天に通じるものなのか――否。
否。
そうじゃない……わかった、想いだ。
レイニー?デヴィルの左手に二つ目の願いを願い、神原の左手がけだもののそれと化した後
も――それが実際に発動するまでには、四日を要した。それは、神原が、ぎりぎりのところ
で、僕が憎いという想いを抑えつけていたからだ。願いは自分で叶えるものだという、彼女の
姿勢が、悪魔の暴力を、抑えつけていた。忍野はそういう、一つ目の願いを願ってからの七年
の間に強固に根付いた神原の姿勢をちゃんちゃらおかしいと笑ったが――それは、そういう通
り一遍の意味ではなかったのだ。
決して間違えてない――と言っていた。
神原の想い。
想い――神原駿河の願い。
レイニー?デヴィルは人間の暗い感情を見透かし見抜く――裏を読んで裏を見る。悪魔は願
いの裏を見る。足が速くなりたいのは、同級生が憎かったから。戦場ヶ原のそばにいたいのは
――阿良々木暦が憎かったから。
でも、それは、あくまで、裏側だ。
表があれば裏があるよう。
裏があるなら――表がある。
もしもレイニー?デヴィルが戦場ヶ原ひたぎを傷つけてしまったら――憎悪の対象である阿
良々木暦を殺そうがどうしようが、関係なく、神原の表の願いを、叶えることができなくなっ
てしまう……そうだ、愛の力なんてそんな感動的でセンシティヴな問題じゃない、もっと実際
的でプリミティヴな問題なのだ。
契約なのだ。
取引なのだ。
レイニー?デヴィルが叶えられる願いは裏側だけだが、それは表がないがしろにされるとい
う意味ではない。実際、神原が小学生のときだって――同級生に復讐をという裏の願いと同時
に、足が速くなりたいという表の願いも、結局は、叶っている。因果関係とは関係のないとこ
ろで、しっかりと、叶ってしまっている。ちゃんちゃらおかしいのは、それが結局、レイ
ニー?デヴィルの思惑通りでしかなかったからだった――レイニー?デヴィルは表を裏に解釈
しただけだが、何もないところから裏を導きだしたわけじゃない、表があってこその裏だっ
た。いや、それもまた忍野の言に従うなら、左手に意思など、あるわけがない。全ては、神原
しの
? ? ? ?
353
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
駿河の無意識の思惑として――表と裏の、決して交わることのない因果関係は矛盾のように成
立する。
悪魔との契約。
魂と引き換え。
クーリングオフ。
叶えられない願いを、願うこと。
ダブルバインドの――板ばさみ。
表と裏との、板ばさみ。
だから――だからこそ、レイニー?デヴィルは戦場ヶ原に手が出せないのだ。そういう契約
だから、そういう取引だから、こうして、戦場ヶ原が僕の盾となっている内は――憎い憎い僕
にさえも、手を出すことができないのだ。
その左手を、出すことができないのだ。
僕が悪魔を圧倒し、裏の願いの成就を不可能にしてしまうというのが一つの方策であったな
ら――それと同様に、表の願いの成就を不可能にしてしまうこともまた、一つの方策。
まして今、戦場ヶ原は、僕が死んだら神原を殺すとまで、悪魔の目の前で、宣誓した。知ら
なかったでは済まされない。レイニー?デヴィルにとって、状況はもう完全に、決定してし
まったのだ。
見透かした真似を……。
悪魔なんかよりもずっと、見透かした真似を。
忍野、お前は……お前は本当に、僕なんか比べ物にならないくらい、とんでもなく、酷くて
悪い人だよな――!
「神原、久し振り。元気そうで何よりね」
戦場ヶ原は言った。
そして仰向けでずるずると後ずさる雨合羽を――いや、彼女の旧知である神原駿河を、戦
場ヶ原は、自分の身体をゆっくりと覆いかぶせる形で、組み敷くようにする。
これほどの悲惨な姿になりなが
ら――
とうとう、僕ができなかったことをする。
僕には、絶対、できないことを。
けだものの左腕と。
人の右腕を、あやすように握り締める。
ホッチキスを――
戦場ヶ原は、もう持っていない。
せんせい
354
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
試用中
「……戦場ヶ原先輩」
フードの内側から、ぼそりと。
響くような、訴えるような声。
しかし、フードの内側は、もう、深い洞などではない。泣きそうな顔などではない。泣きそ
うじゃなくて――泣いている。はっきりと僕の眼には、涙目で泣き顔で泣き笑いの、一人の女
の子が映っている。
私は、と、しゃくりあげながら。
彼女は、彼女の想いを口にする。
「私は、戦場ヶ原先輩が、好きだ」
彼女の、彼女の願いを口にする。
「そう。私はそれほど好きじゃないわ」
いつも