第16章

いただけなのかもしれない。友達の兄貴なんて、普通、記憶には残らないだろうし…

…だとすれば、ここで声を掛けるのも変な話だ。

しかし。

蛇。

そう、蛇、だ――

している内に、千石は、読んでいた本を本棚に戻し、その場から動き始めた。僕は見つから

ないように、咄嗟に身を隠す。別に隠れる理由もないのだが、ここで反射的に隠れてしまった

ことにより、声を掛けるタイミングは完全に逸してしまったことになる。本棚を壁に、迂回す

るように僕は歩いて、千石の姿が見えなくなったのを確認し、先程まで彼女がいた場所へと移

動した。

何の本を読んでいたのか、気になったのだ。

僕はそのタイトルを確認する。

「ちょっと……これは」

その本は――一万二千円の、ハードカバーだった。

中学二年生に買える本ではない。高校三年の僕だって、今の手持ちじゃ無理だ。参考書が買

えなくなってしまう。

だから、立ち読みで済ませていたのだろう。

だが――そんなことより。

問題は、そのタイトルだった。

僕はその奥まったコーナーから出、店内に千石の姿を探したが、既に彼女は見当たらなかっ

た。別のコーナーの奥の方に入っていったのかもしれないが、もう店から出ていったと見る方

が正しそうだ。それに、彼女のあの私服……。

長袖、長ズボン。

深い帽子に、ウエストポーチ。

僕の勘に間違いがなければ……というパターンだ。

「くそっ……しょうがないな」

とりあえず、参考書を買うためにレジへと向かう。レジには結構買い物客が並んでいたが、

根気よく待った。慌てて急いてもろくなことにならない。まずは冷静になるべきだ。どうする

とっさ

いっ うかい

かん

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べきか考えながら、トレイに一万円札を置く。レジの店員さんが、会計がぴったり一万円に

なったことに驚いているようだったが、それは僕の功績ではないので、どうでもよかった。

ううん。

昔の知り合いとは言え……二人じゃきついか。

一人でできることには限界がある。

となると、ここは行きがかり上……あいつに協力を仰ぐしかなさそうだった。こういう案件

には、あいつ、ことのほか強そうだし。……さっき羽川に釘を刺されたばかりではあるけれ

ど、この場合は仕方がない。

手提げ袋に入れてもらった参考書を左手に、僕は店を出てから携帯電話を取り出し、昨日、

あれから教えてもらった携帯電話の電話番号へと、発信した。一昨日、あいつの自宅に電話し

たときもそうだったのだが、初めての番号に電話をかけるというのは、やはり緊張する。

呼び出し音が五回くらい。

「神原駿河だ」

繋がったと思ったら、いきなりフルネームで名乗られた。なんだか珍しいケースだったの

で、ちょっと驚いた。

「神原駿河。得意技は二段ジャンプだ」

「嘘をつけ。あれは人間業じゃない」

「ん。その声と突っ込みは阿良々木先輩だな」

「……いや、そうだけどさ」

声と突っ込みで判断って。

昨日、こっちも番号教えたじゃん。お前、僕の電話番号をアドレス帳に登録してないのか?

それは寂しい……ああ、いや、まだ携帯電話という機器を使いこなせていないだけか……機

械、苦手そうだもんなあ。

「神原、暇だったら、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど……今、何してた?」

「ふふ」

なんだか不敵に笑う神原。

「暇であろうとなかろうと、阿良々木先輩に望まれたとあっては、たとえそこがどこであって

も私は出向く所存だぞ。理由など聞くまでもない、場所さえ教えてもらえれば私はすぐさまそ

こへ行く」

「いや、そういうのはいいからさ……別に暇じゃないんだったら、無理してくれなくってもい

いんだよ。昨日も昨日で引っ張り出したばっかりで、こっちもかなり心苦しいんだしさ。神

原、今どこで何してたんだ?」

あお

おととい

わざ

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「えっと……何をしていたかと言えば……」

「なんだよ、煮えないな。本当に暇じゃないのか? だったら――」

「いや、その……うん」

意を決したように神原は言った。

「やはり阿良々木先輩に隠し事はできないな。私は今、自宅の自室で、いやらしい本を読んで

いやらしい妄想にふけっていた」

「………………」

しつこく聞くんじゃなかった。

僕がセクハラ野郎みたいになってしまった。

「ああ、でもこれだけは誤解しないでくれ、阿良々木先輩。いやらしい本と言っても、全部

ボーイズラブだ」

「頼むからそれだけは誤解させておいてくれ!」

「今日は新刊の発売日だったものでな、試験中だったから買えなかったものも含め、二十冊ほ

ど購入したのだ」

「はあ……いわゆる大人買いって奴な」

「ちっちっち。この場合は乙女買いと言って欲しい」

「うるせえよ!」

ということは、神原もこの放課後、この本屋さんに来ていたのかな……この辺りでボーイズ

ラブまで常置してある規模の本屋さんと言えばここくらいだろうし、かもしれないな。しか

し、だとすると、本当に狭い町内だ……これがギャルゲーだったらフラグ立ちまくりだよ。

「つまり、要は暇なんだな」

「まあ、そう言われても仕方がないな。阿良々木先輩と忍野さんとの絡みを考えることを、忙

しいとは言えない」

「それがお前のいやらしい妄想なのか!?」

「で、私はどこへ行けばよいのだ?」

「話を逸らすな、いや、話を戻すな! 神原、教えろ、どっちが攻めでどっちが受けなんだ!?

僕が受けだったら許さないからな!」

馬鹿な会話だった。

神原とはいつもこんな調子だ。

「やれやれ……。僕はたまにはお前と知的な会話を交わしたいよ……お前、確か、結構、頭い

いはずだろ?」

「うん。私は成積はいい方だぞ」

おとめ

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「その漢字だと、成績は悪そうだけど……」

ともかく、と僕は言う。

こんな馬鹿な会話を交わしている間にも、千石はどんどん、この書店の位置から離れていく

のだ。……まあ、どんなに離れていったところで――その目的地は、わかっているのだが。

私服姿の千石撫子。

垢抜けないセン

スではあったが、そんなことより。

長袖長ズボン――だった。

これから、山に入るかのごとく。

「昨日行った神社。そこの階段に入る前の歩道で、待ち合わせだ。えっと、位置的には――お

前の方が近いだろうけど、僕は自転車だから、多分先について待っている」

「困るなあ、阿良々木先輩。この私が二日連続で阿良々木先輩を待たせるとでも思っているの

か? だとすれば私の信用も地に落ちたものだな。私にも意地がある、そこまで言われては

黙っていられない、この機会に汚名を晴らし、名誉は回復させてもらう。絶対に私の方が先に

着く」

「変な意地を張られても、僕が困るんだが……まあ、なるたけ急いでくれ。ああ、長袖長ズボ

ン、忘れずにな」

僕は学校帰りで、制服のまま、衣替えがあったばかりでカッターシャツが半袖だけど、これ

はもう致し方ない。下半身はスラックスなのだから、よしとするしかないだろう。大体、僕の

場合、多少虫に刺されようが蛇に咬まれようが、大事ないからな――いわゆる、吸血鬼の後遺

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