、二つバスタブに入れて混ぜ合わせたときと同じくらいの後悔だ。
「えっと、その、ドラえもんの秘密道具――」
万策尽きて、最後の手段としてドラえもんトークに持ち込もうとしたところで、しかし、そ
れも半ばで羽川が、
「あ、痛」
と、呟くように言ったので、遮られた。
痛いって……僕がか? 高校三年生にもなってドラえもんトークを(しかも窮余の策とし
て)持ち出してきた僕が痛いというのか? 中学生なら許されるのに?
なんて、一瞬、被害妄想に包まれかけたが、そうではなく、羽川は頭部に指先で触れるよう
にしていた。つまり――頭が痛いのだろう。ああ、そう言えば、その後のごたごたでなんだか
有耶無耶になっていたけれど、羽川は昨日もそんなことを……。
「おい――大丈夫か?」
「うん……うん、大丈夫」
気丈にそういってみせる羽川。
僕に向けるその笑顔には、確かに一片の曇りもないが――だとすれば、さっきの羽川の言葉
は、偽りだったということになる。
嘘なんかついたことがない。
そんなの――嘘じゃないか。
「保健室――いや、春上先生も、この時間じゃ帰っちゃってるか。じゃあ、病院――」
「大丈夫だって。大袈裟だなあ、阿良々木くんは。こんなの、家帰ってちょっと勉強すれば、
治っちゃうんだから」
「お前は本気で、勉強すれば頭痛が治ると思ってるのか……?」
そういうところは、素直に変な奴だ。
考え方が違う。
「最近よくあるって言ってたじゃねえか。なんかヤバい病気とかだったらどうするんだ?」
「心配し過ぎだよ。結構気が小さいところがあるよね、阿良々木くん。そんなことより、阿
良々木くん。私が言ったこと、ちゃんと理解できた? 理解できただけじゃ駄目なんだよ。実
ばんさく
きゅうよ
はるかみ
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践しなきゃ」
「ああ、わかってるよ」
そんなことより、か。
自分のことより他人のこと。
こういうところも――変な奴だと思うけれど。
でも。
「気を遣わせてばかりで悪いな」
「別にいいよ。でも、だからとりあえず、私の言うことがわかったっていうんなら、さしあ
たっては阿良々木くん」
羽川は言った。
わざとらしい咳払いを一つ、した後で。
「宝物みたいに抱えてるそのブルマーとスクール水着を、鞄にしまうくらいのことはしたらど
うかな?」
003
六月十三日は僕にとって記念すべき日。
に、なるはずだ。
それは、ブルマーやらスクール水着やらには一切合切関係なく、ことの発端は、先月の母の
日、五月十四日から付き合っているところの僕の彼女、戦場ヶ原ひたぎのこんな一言だった。
「デートをします」
当日の昼休みのことだった。
中庭のベンチで、見た目仲良く並んでお弁当を食べていた最中の、それは唐突な一言だっ
た。箸で持ちかけていた卵焼きを取り落とすほど、僕は呆気に取られてしまった。
はい?
今この女、なんて言った?
戦場ヶ原を見る。
夏服――である。
ブラウスの短い袖を更に折りたたんでピンで留め、ノースリーブっぽくしているのは、最近
の我が校の女子の間での静かなブームである。戦場ヶ原はそういう時流に乗ることをよしとし
せきばら
ほったん
はし あっけ
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ない女生徒ではないかと、僕は勝手に思っていたが、割とそんなことはないらしい。ノンポリ
だ。これは新しい発見だった。ちなみに羽川あたりは、口うるさく言いこそしないものの、そ
ういう時流には乗らない。同じ優等生でも、それが筋金入りかそうでないかの違いと言ったと
ころだろう。もっとも、戦場ヶ原にしたところで、スカートの長さは、相変わらずだが。
食事中ということで、後ろ髪と、最近伸びてきたらしい前髪を上向きに、戦場ヶ原はそれぞ
れ、赤いゴムで留めている。見ようによっては間抜けな髪型だが、綺麗な額が惜しげなく晒さ
れているのは僕としては非常に印象がいいし、また、戦場ヶ原がそうした『油断した』みたい
な姿を見せてくれるのは、なんだか打ち解けてきた感じがあって、気分的には悪くない。
「えっと……あれ?」
なんて、僕が反応に困っていると、戦場ヶ原は、
「ふむ」
と、自分のお弁当箱から、白米の部分をちょっとだけ箸で掬うようにして、それから、その
白米を、僕に向けて差し出してきた。
「あーん」
「…………………!」
うわ……つ!
何、このシチュエーション……!
漫画とかでよく見るラブラブな恋人同士のラブラブイベントの一つとしてよく知られている
けど、なんだこれ、全然嬉しくない、嫌だっていうか、むしろ普通に怖い!
戦場ヶ原とくれば、相変わらずの平坦な無表情だし……照れくさそうなはにかみ顔とかで
やってくるなら全然歓迎なんだが、相手の感情が読めないっていうのは、この状況ではかなり
キツい……。
ついつい何を企んでいるのかって思っちゃう。
ものすごく裏がありそう。
ていうか裏しかなさそう。
両B面だ。
僕がここで間抜けに口を開けたら、ひょいっとフェイントをかけて、僕のことを笑いものに
する気じゃないのか。
「どうしたの? 阿良々木くん。あーん、てば」
「…………」
いや……。
自分の恋人のことを疑ってどうする。
さら
すく
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戦場ヶ原は確かに意地悪だが、そこまで酷いことをする奴じゃない。付き合い始めて一ヵ
月、まだまだ長い付き合いだとは言えないが、それでも、それなりにお互いのことは理解でき
ているはずだ。信頼関係は成立しているのである。それを自ら壊すような真似をしてどうす
る?
僕は戦場ヶ原の彼氏なんだ。
「あ、あーん」
口を開けた。
「えい」
戦場ヶ原は白米を、開けた口のちょっと右側、僕の頬に押し付けた。
「………………」
いやいやいや。
わかりきってたオチではあるけれど。
「ふ、ふふふ」
笑う戦場ヶ原。
腹の立つ、静かな笑い方だ。
「ふふふ……あはは。はは」
「……お前の笑顔が見れて僕はとても嬉しいよ」
昔は滅多に笑わない奴だったのに。
今もこういうときにしか笑わないけれど。
基本的にはとにかく無表情なんだよな。
「阿良々木くん、ほっぺたにご飯粒がついてるわよ」
「お前がつけたんだ」
「とってあげる」
一旦箸を置いて、直接手を伸ばしてくる戦場ヶ原。僕の頬から、自分で塗りつけたご飯粒
を、丁寧な仕草で、一粒一粒、つまみとる。
うーん。
これはこれで……。
「はい、とれた」
と言って。
ぽいっと、脇のゴミ箱に、その米粒の塊を捨てた。
……捨てるんだ。
目の前で捨てるか……。
かたまり
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いや、別に食べるとは思ってなかったけども。
「さて」
と、手際よく、戦場ヶ原は仕切りなおす。
なかったことにされた感じだ。
「デートをします」
繰り返した。
しかし、戦場ヶ原はそこでどうしてか、「ううん」と、悩むような仕草を見せる。首を傾げ
て、なんだか思案中だ。
「違うわね。こうじゃないわ。デートを……」
「……?」
「デートをして……いただけませんか?」
「………………」
「デ