ない。まして、背後からなんて――
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。
「だ、だけど――なんのつもりだ。こんなことを、今ここでして、どうなるってんだ――僕一
人吸ったくらいで、羽川のストレスは――」
「だから、もう一つの策にゃ――二番目くらいには手っ取り早い策にゃん。まあ、俺からして
みれば、一番冴えてる案にゃんだが」
ブラック羽川はそう言って――べろりと、僕のうなじの辺りを舐めた。舐めると言っても、
それはそんな官能的な感触とはなりえない――猫の舌は猫舌で、肉を削ぐための鉤舌だ。首の
皮と肉がめくれて、どばっと出血したのがわかる。
その血を飲んで――化け猫は笑う。
「ストレスの大本――ストレッサーそのものであるお前がいにゃくにゃってしまえば、俺がい
る必要もにゃくにゃるんにゃ。お前一人吸ったくらいで――じゃにゃい、お前一人にゃら、そ
れで十分にゃんにゃ。人の気持ちを変えることはできにゃくとも――人の存在を消すことはで
きるにゃん」
「そ、そんな――」
エナジードレイン。
死に至るというほどの例はなくとも――けれど、それは決して殺せないということではない
のだ。精も根も尽き果てて――生き続けられる人間なんて、いるわけもない。
でも、お前……ブラック羽川、そんなことをして、ご主人が喜ぶとでも。
「俺のやったことはご主人の記憶には残らにゃい――だろう? 自分でやったことだとは思わ
にゃいにゃ。勿論、お前がいにゃくにゃってしまえば、ご主人は悲しむだろうが、それでも―
―今よりはマシにゃ。俺は感じるにゃん――こうしてお前を吸うことで、自分の存在が薄れて
いくのを――」
「こ、懲りたんじゃねえのかよ――ゴールデンウィークに、羽川の両親を襲って……それだけ
じゃ済まなかっただろうが。人間のストレスは、そんな単純なものじゃ――」
「それは違うにゃ――俺のあのときの失敗は、ご主人の両親を殺さにゃかったことにある
あいあい
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
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にゃ。変にご主人に気を遣ったのが悪かった――死人を出すまいとしたのが悪かったにゃ。そ
れに俺は懲りた。同じ轍は、二度と踏まにゃい――確実に殺す」
「殺す――」
なんて言葉だ。
そんな言葉が、羽川の口から出るなんて――でも、それもまた、羽川の裏面で、羽川の言葉
であるとも、言えるのかもしれない。
ひっくり返せば、裏もまた表。
それならば。
存外、羽川は――喜んでいるのかもしれない。羽川がそんなことを望むはずがない――なん
て、やっぱりただの幻想の押し付けなのかもしれない。願った結果――なのかもしれない。望
んだから与えられた――のかもしれない。さっきの、嘘をついてでも羽川と付き合ってくれれ
ばという障り猫の提案だって、羽川の裏面であることは間違いがないのだ。
それならば。
「……はねかわ」
それならば――これは確かにいい手段だ。
命の恩人。
羽川のためなら、何だってする。
気持ちを変えることはできないけれど――
死んでもいいって、思えるんだ。
「まあ、幸せに思えよ――ご主人のいやらしい身体に抱かれて昇天できるんだからにゃ。最上
の幸福を味わいにゃがら、干乾びろ」
「…………」
身体中の感覚が消えていく中で、さすがにそんな感触を楽しんではいられないし――そもそ
も、どちらかと言えば、胴に回されたそれぞれの腕手の、鋭い鉤爪が僕の腹筋に突き刺さっ
て、その痛みだけがやけにリアルなのだけれど――それでも。
羽川のために、死ねるのなら。
「………………」
いや――駄目だ。
それは駄目だ。
戦場ヶ原のことがあった――だから僕は、羽川に殺されるわけにはいかないのだ。羽川が僕
を殺せば――そうでなくとも羽川の身体であるものが僕を殺せば、戦場ヶ原は確実に羽川を殺
す。それは幻想でも押し付けでもなんでもない、あいつは確実にそれをやる。僕はもうわかっ
ひから
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ている、戦場ヶ原は躊躇しない。そしてそのときの羽川に、それを防ぐ手立ては皆無だ。戦
場ヶ原は羽川にストレスを溜める暇も与えないだろうから。
だから――それは駄目だ。
これは最低最悪の手段だ。
「は……離せ」
「ああん?」
「とにかく――離せ」
説明している余裕はない。障り猫は戦場ヶ原を知らない――いや、知識としては知っている
だろうが、羽川が知る戦場ヶ原の知識では弱い。僕か、せめて神原クラスの知識がないと、戦
場ヶ原ひたぎの危険性は認識できない……だが、それをここで逐一説明していたら、そんな間
に僕がぺらぺらの紙みたいになってしまう。
「命乞いかにゃん? それもいいにゃ――もしも今からでもご主人と付き合うっていうんにゃ
ら、離してやってもいいにゃん」
「ぐ……だから、それは無理だって――」
「だろうにゃあ」
ブラック羽川は言う。
やはりあっさりと。
「じゃあもういい。お前死ねよ」
「………………」
「それとも、誰かに助けでも求めてみるかにゃ? 今まで散々、色んな奴を助けてきたお前
にゃ――誰かが助けてくれるかもしれにゃいにゃ」
「誰かって――」
誰だよ。
八九寺か? 千石か? 神原か? 戦場ヶ原か?
「助けなんて――無理だ」
「無理? どうして」
「だって、人は一人で、勝手に助かるだけだから――」
「それはお前の意見じゃにゃいだろう?」
静かに――そう言われた。
「それはただの言葉だ――お前の気持ちじゃにゃい。言葉を真似しただけじゃあ、そんにゃも
のは幾らでも変わる――問題はお前がどういう気持ちでいるのか、にゃ」
「……ぐ、ぐぐ――」
いのちご
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「そりゃ、人は一人で勝手に助かるだけだけれど――助ける側に、そんにゃ事情が関係あるの
かにゃ? 人を何人助けようが――それは勝手というものだろう」
猫は言う。
喉を鳴らしながら。
「お前を助けたいと思っている奴が一体、どれだけいると思っている? それをお前は一人残
らず、拒否するのかにゃ
あ――」
力が――抜ける。
もう、立っていられない。
胴に回されたブラック羽川の腕で、支えられているようなものだ――完全に、身体を預けて
しまっているようなものだ。
意識も朦朧としている。
どうにもならない。
自分一人では――どうにもならない。
笑ってしまいそうになるが、その力もない。その力もないが――やっぱり、それでも笑って
しまいそうになる。
そうだよなあ。
やっぱり……悲しむだろうな。
羽川も……戦場ヶ原も。
神原も、千石も。
八九寺だって、ひょっとしたら。
僕が死んだら。
「……助けて」
僕は、声を振り絞った。
振り絞って――言った。
「助けて……忍」
瞬間、だった。
僕の影から――一人の少女が飛び出した。
金髪。
ヘルメットにゴーグル。
小さな体躯で――しかし、ブラック羽川の僕に対するハグを、瞬間だけで、引き剥がした。
続けて一息にブラック羽川の身体を吹っ飛ばす。吹