第89章

っ飛ばされた猫は、身体を回転させること

もできず、そのまま道を挟んだ反対側の街灯にぶつかった。その街灯がひん曲がるほど――と

もうろう

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まではいかなかったが、大きく揺れるほどの、衝撃だった。

そして着地する。

影から飛び出した忍野忍は――

金髪を思いのままに振り乱しながら、着地する。

忍。

こいつ……そんなところにいたのか?

しかし、確かに、考えてみれば――それくらいしか、もう隠れ場所はないのだった。これだ

けの時間、この町を探して、目撃証言さえも得られないなんてことがあるわけがない――障り

猫の嗅覚でさえ、まるでまるっきり追尾できないということがあるわけがない。

だから。

当然のように、何らかの、吸血鬼としての能力を発揮していると考えるべきだった――しか

し、能力を制限されている忍にそれができるわけがないと、僕は勝手に思い込んでしまってい

た。

違う。

その考えには隙があった。

僕のそばにいればある程度の能力は発揮できる、それはわかりきっていたじゃないか――

だったら、僕のそばに潜めばいいのだ。それだけのことじゃないか。

心理的盲点――推理小説の基本だ。

隠したいものはもっとも目立つ場所に隠せ。

しかも、この隠れ場所は、猫の嗅覚に対しても非常に有効だ――忍の匂いは僕の匂いにまぎ

れてしまうから。

僕の影の薄さ――

それを忍は、利用した。

多分、昼間だ――それも午前中だ。僕がまだ、一人で忍を探しているときに――忍の方が先

に僕を見つけたんだ。あてずっぽでものを言えば、ミスタードーナツの辺りじゃないだろう

か。そこで忍は――僕の影に潜んだ。元々が闇の世界の住人だ、吸血鬼にとって影に潜むのは

お手の物――というのは昔の話で、今となっては、忍が潜むことのできる影は僕の影だけなの

だろうが――

あ。

真下とは――それか。

影が真下になるという意味で――そして、じゃあ、そもそも、街灯の下に行けと言ったのも

……そうだ、障り猫と人間もどきの僕との戦力差は歴然としている、わざわざ手間をかけて、

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背後から襲う必要なんかない。細かい策など弄さずに正々堂々、襲えばいいのだ。だったら―

僕は、街灯の下でうずくまるブラック羽川に目をやる。

ブラック羽川は――にやりと笑った。

しかし、それもまた、一瞬だった。

忍に容赦は一切ない――着地した次の呼吸には障り猫に対して、飛び掛かり、襲い掛かって

いた。短い手足を精一杯に伸ばしブラック羽川の身体に絡みつき――首元に、がぶりつく。

抵抗する暇もなかった。

そのまま――吸う。

障り猫の特性がエナジードレインなら――吸血鬼の特性もまたエナジードレインなのだ。目

には目を、歯には歯を、怪異には怪異を、エナジードレインにはエナジードレインを。今現在

も、忍が触っているというだけで、忍の精力は障り猫に吸い取られているが――それ以上の精

力を忍は障り猫から、吸い取っている。

純然たる、食料として。

障り猫と吸血鬼では怪異としての格が違う。

障り猫と吸血鬼では怪異としての核が違う。

この光景はゴールデンウィークの焼き直しだった――まるっきりの、再現だった。あのとき

は、この状況に追い込むまでに、相当の、それ相応の苦難があったわけだが……、今回はブ

ラック羽川が抵抗しないから。

抵抗する暇も抵抗する意志もないから。

常時発動のエナジードレインだけは防ぎようがないとは言え――今の障り猫に、忍と戦う気

はない。体力や腕力、機動力で、その気になれば今の忍(つまり今に限っての忍)なら、翻弄

できるというのに――

羽川のために。

ご主人のために――だ。

勿論、これでわかったような気になってはいけない。ブラック羽川の言う通りに、慣れてし

まって、馴れ馴れしく思ってしまっては、いけないのだ――最初からこうなることだけを、ブ

ラック羽川が狙っていたとは思えない。

猫並みの知能でありながら、障り猫が僕の影に忍が潜んでいる可能性に気付いたのは確かだ

ろう――そんな忍を誘い出すには、一辺倒の方法ではいかないという判断をしたことも間違い

がない。そのために、言うなら僕を囮、人質にして、夜の中でも影がはっきり孤立する、街灯

の下に誘導してから、エナジードレインを決行したことは、今となっては歴然だ――しかし。

ろう

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おとり

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ブラック羽川としては本当に、僕をあのまま殺してしまっていてもよかったのだろう。忍は

僕の影に潜んでいなくて、真実はただ、忍はもう町の外に出てしまっていただけで、そうだっ

たとしても、あのまま僕という存在を吸い尽くしてしまって一向に構わなかったのだろう。

結果としてこうなったというだけだ。

嘘をつける頭はない。

障り猫の言ったことは――全部本音だ。

本当の気持ちだ。

そしてそれもまた、羽川の裏面なのだ。

嫌な役割を――障り猫に押し付けている。

確かに。

どちらがより馬鹿かの結論は――出たようだ。

「……ああ」

ブラック羽川の髪が――徐々に色素を含む。

灰色になり、茶色になり――黒色に。

猫耳も、少しずつ、形を失っていく。

怪異という存在を――忍が吸い取っているのだ。

怪異殺し。

それが忍の春休みまでの蔑称だった。

障り猫だろうが何だろうが、牙を突き立て吸い取って――存在そのものを世界から切り取っ

てしまう、正真正銘の、怪しくて異なる存在――

怪 異 の 王――ノーライフキング、吸血鬼。

「そろそろやめろ――やめてくれ、忍。それ以上吸ったら羽川までいなくなってしまう。それ

は――嫌だ」

言うと。

忍は、思いのほかあっさりと、羽川の首元から離れてくれた。羽川の首元――くっきりと牙

の痕が、そこに刻まれているが――それについては心配はいらないだろう。僕のうなじにある

咬み痕とは違う。僕のときとは違って、忍はあくまで食料として障り猫を吸ったに過ぎない―

―食ったに過ぎない。

吸血鬼は、人の血を吸う――しかし、食料として吸うときと、仲間を作るために吸うときと

では、その意味合いが違う。

だからこそ忍は逃げたのかもしれない。

障り猫は、そう言った。

キングオブアウトサイダー

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たった今吸い取られきった、一匹の怪異は。

食事を終えた忍は、てくてくと、僕のところに戻ってきて――そのまま、僕の影に沈み込ん

だ。

気に入ったのだろうか。

僕の影の中。

そして――

場には、黒髪の羽川と、僕とが、残された。

羽川に意識はない――眼を瞑って、眠っている。

恐らく明日の朝まで起きないだろう。

「………………」

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