かの所為でそうなったわけじゃない――ちょっと視
点が変わっただけだ」
最初から、そうだった。
それは――それじゃあ、匙を投げた医者と、言っていることがほとんど、変わらない。
「視点が? 何が――言いたいんですか?」
「被害者面が気に食わねえっつってんだよ、お嬢ちゃん」
唐突に、辛辣な言葉を、忍野は放った。
僕のときと同じように。
或いは、羽川のときと同じように。
戦場ヶ原のリアクションが気になったが――しかし、戦場ヶ原は、何も、返さなかった。
甘んじて受けたようにも思えた。
そんな戦場ヶ原を、忍野は、
「へえ」
と、感心したように見た。
「なかなかどうして。てっきり、ただの我儘なお嬢ちゃんかと思ったけど」
「どうして――そう思ったんですか」
「おもし蟹に遭うような人間は、大抵そうだからだよ。遭おうと思って遭えるもんじゃない
し、通常、障るような神でもない。吸血鬼とは違う」
障らない?
? ? ? ? ? ? ? ? ?
ぜん
しゅげんどう
? ? ? ?
さじ
づら
とうとつ しんらつ
わがまま
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障らないし――襲うこともない?
「憑くのとも違う。ただ、そこにいるだけだ。お嬢ちゃんが何かを望まない限り――実現はし
ないんだ。いや、もっとも、そこまで事情に深入りするつもりはないけれどね。僕はお嬢ちゃ
んを助けたいわけじゃないんだから」
「…………」
勝手に助かる――だけ。
忍野はいつも、そういうのだった。
「こんなのは知っているかな? お嬢ちゃん。海外の昔話なんだけどね。あるところに、一人
の若者がいたんだ。善良な若者さ。ある日、若者は、町で不思議な老人と出会う。老人は若者
に、影を売ってくれるように頼むんだ」
「影を?」
「そう。お日様に照らされて、足元から生じる、この影だ。金貨十枚で売ってくれ、とね。若
者は、躊躇無く、売った。金貨十枚で」
「……それで?」
「お嬢ちゃんならどうする?」
「別に――その状況になってみないと、わかりません。売るかもしれないし、売らないかもし
れない。そんなの、値段次第ですし」
「正しい答だね。たとえば、命とお金とどっちが大切なんだって質問があったりするけれど、
これは質問自体がおかしいよ。お金と一口に言っても、一円と一兆円じゃ、価値が違うんだ
し、命の価値だって、個々人によって平等じゃない。命は平等だなんて、それは僕が最も憎
む、低俗な言葉だよ。まあ、それはともかく――その若者は、自分の影なんてのは、金貨十枚
の価値よりも大事だとは、とても思えなかったんだ。だってそうだろう? 影なんかなくて
も、実質、何も困りやしないんだから。不自由はどこにも生じない」
忍野は身振りを加えながら、話を続けた。
「しかし、その結果、どうなったか。若者は、住んでいた街の住人や家族から、迫害を受けて
しまうんだ。周囲と不調和を起こすことになる。影がないなんて不気味だ――と言われてね。
そりゃそうだよ。不気味だもん。不気味な影という言葉もあるけれど、影がない方がよっぽど
不気味さ。当たり前のものがないなんて――ね。つまり、若者は、当たり前を金貨十枚で、
売ったってことなのさ」
「…………」
「若者は、影を返してもらおうと老人を探したけれど、いくら探しても、どんなに探しても、
その不思議な老人を、見つけることはできませんでした――とさ。ちゃんちゃん」
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「それが――」
戦場ヶ原は。
表情を変えずに、忍野に応えた。
「それが一体、どうしたっていうのですか」
「ううん、別にどうもしないよ。ただ、どうだろう、お嬢ちゃんには身につまされる話なん
じゃないかと思ってね。影を売った若者と重みを失ったお嬢ちゃん、だから」
「私は――売ったわけじゃありません」
「そう。売ったわけじゃない。物々交換だ。体重を無くすことは、影を無くすことよりは、不
便かもしれないけれど――それでも、周囲との不調和ということなら、同じだしね。でも――
それだけなのかな」
「どういう意味です?」
「それだけなのかなという意味だ」
忍野はこの話はこれでおしまい、と言った風に、胸の前で両手を打った。
「いいよ。わかった。体重を取り戻したいというのなら、力になるさ。阿良々木くんの紹介だ
しね」
「……助けて――くれるんですか」
「助けない。力は貸すけど」
そうだね、と左手首の腕時計を確認する忍野。
「まだ日も出ているし、一旦家に帰りなさい。それで、身体を冷水で清めて、清潔な服に着替
えてきてくれる? こっちはこっちで準備しておくからさ。阿良々木くんの同級生ってこと
は、真面目なあの学校の生徒ってことなんだろうけれど、お嬢ちゃん、夜中に家、出てこられ
る?」
「平気です。それくらい」
「じゃ、夜中の零時ごろ、もういっぺんここに集合ってことで、いいかな」
「いいですけれど――清潔な服って?」
「新品じゃなくてもいいけど。制服ってのは、ちょっとまずいね。毎日着ているものだろう」
「……お礼は?」
「は?」
「とぼけないでください。ボランティアで助けてくれるというわけではないんでしょう?」
「ん。んん」
忍野はそこで、僕を見る。
まるで僕を値踏みしているようだった。
いったん
れい
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「ま、その方がお嬢ちゃんの気が楽だっていうなら、貰っておくことにしようか。じゃ、そう
だね、十万円で」
「……十万円」
その金額を、戦場ヶ原は反復した。
「十万円――ですか」
「一ヵ月二ヵ月、ファーストフードでバイトすれば手に入る額でしょ。妥当だと思うけれど」
「……僕のときとは随分対応が違うな」
「そうだっけ? 委員長ちゃんのときも、確か十万円だったと思うけれど」
「僕のときは五百万円だったって言ってんだよ!」
「吸血鬼だもん。仕方ないよ」
「何でもかんでも安易に吸血鬼のせいにするな! 僕はそういう流行任せの風潮が大嫌い
だ!」
「払える?」
思わず横槍を入れてしまった僕を片手であしらうようにしながら、忍野は、戦場ヶ原に問う
た。
戦場ヶ原は、
「勿論」
と、言った。
「どんなことをしてでも、勿論」
そして――
そして、二時間後――今現在、だ。
戦場ヶ原の家。
もう一度――見回す。
十万円という金銭は、普通でも少ない額ではないが、戦場ヶ原にとっては、通常以上に、大
金なのだろうと、そう考えさせる、六畳一間だった。
衣装箪笥と卓袱台、小さな本棚の他には何も無い。濫読派のはずの戦場ヶ原にしては、本の
冊数も少なめなので、その辺は恐らく、古書店や図書館で、うまくやりくりしているのだろ
う。
まるで昔の苦学生だ。
いや、実際、戦場ヶ原はそうなのだろう。
学校にも奨学金で通っていると言っていた。
忍野は、戦場ヶ原のことを、僕よりも全然マシ――みたいな風に言っていたけれど、それは
だとう
よこやり
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どうなのだろうと、思ってしま