第13章

う。

確かに――命の危険という意味や、周囲に及ぼす迷惑という意味では、吸血鬼に襲われるな

んてのは、冗談じゃない話だ。死んだ方が楽だと何度も思ったし、今だって、一歩まかり間違

えば、そう思ってしまうこともある。

だから。

戦場ヶ原は、運の悪い中では、運のいい方なのかもしれない。けれど――羽川に聞いた中学

時代の戦場ヶ原の話を思えば、単純にそうまとめ、そう認識するのには、無理があるような気

がする。

少なくとも、平等ではないだろう。

ふと思う。

羽川は――羽川翼はどうなのだろう。

羽川翼の場合。

翼という、異形の羽を、持つ女。

僕が鬼に襲われ、戦場ヶ原が蟹に行き遭ったように、羽川は猫に魅せられた。それが、ゴー

ルデンウィークのことだ。あまりに壮絶で、終わってしまえば遥か昔の出来事のようだが、つ

い、数日前の事件である。

とはいえ、羽川は、そのゴールデンウィークの際の記憶をほとんどなくしているので、羽川

本人は、忍野のお陰でそれがなんとかなったことくらいしか分かっちゃいないのだろうけれ

ど、ひょっとしたら何も分かっちゃいないのかもしれないが、それでも、僕は――すべてを覚

えている。

何しろ、厄介な話だった。

既に鬼を経験していた僕がそう思った。鬼よりも猫の方が怖いなんてことがあるとは、よも

や考えたこともなかったけれど。

やっぱり、命の危険だったりの観点から見れば――戦場ヶ原より羽川の方が悲惨だったと、

単純に言えるのだが、しかし――戦場ヶ原が一体どれほどの思いで今に至っているかを考える

と。

現状を考えると。

考えてしまうと。

優しさを敵対行為と看做すまでに至る人生とは、一体、どのようなものなのだろう。

影を売った若者。

重みを失った彼女。

僕には、わからない。

いぎょう

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僕にわかる話じゃ――ないのだ。

「シャワー、済ませたわよ」

戦場ヶ原が脱衣所から出てきた。

すっぽんぽんだった。

「ぐあああっ!」

「そこをどいて頂戴。服が取り出せないわ」

平然と、戦場ヶ原が、濡れた髪を鬱陶しそうにしながら、僕が背にしていた衣装箪笥を指さ

す。

「服を着ろ服を!」

「だから今から着るのよ」

「なんで今から着るんだ!」

「着るなって言うの?」

「着てろって言ってんだ!」

「持って入るのを忘れていたのよ」

「だったらタオルで隠すとかしやがれ!」

「嫌よ、そんな貧乏くさい真似」

澄ました顔で、堂々としたものだった。

議論が無駄なことは火を見るよりも明らかだったので、僕は這いずるように衣装箪笥の前か

ら離れ、本棚の前に移動し、並んでいる本の冊数でも数えているみたいに、そこに視点と思考

を集中させた。

ううう。

女性の全裸を、初めて見てしまった……。

だ……だけれどなんか違う、思っていたのと違う、幻想なんか持っていたつもりは全然ない

けれど、僕が望んでいたのは、僕が夢見ていたのは、こんな、裸ん坊万歳みたいな、あけっぴ

ろげな感じじゃなかったはずだ……。

「清潔な服ねえ。白い服の方がいいと思う?」

「知らねえよ……」

「ショーツとブラは、柄ものしか持っていないの」

「知らねえよ!」

「相談しているだけなのに、どうして大声で喚いたりするの。訳がわからないわ。あなた、更

年期障害なんじゃない?」

箪笥を開ける音。

がら

わめ

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衣擦れの音。

ああ、駄目だ。

脳裏に焼きついて離れない。

「阿良々木くん。まさかあなた、私のヌードを見て欲情したのではないでしょうね」

「仮にそうだったとしても僕の責任じゃない!」

「私に指一本でも触れて御覧なさい。舌を噛み切ってやるんだから」

「あーあー、身持ちの堅いこったな!」

「あなたの舌を噛み切るのよ?」

「マジでおっかねえ!」

なんていうか。

土台、この女を僕の視点で理解しようという方が、無理があるのかもしれなかった。

人間が人間を理解できるわけがない。

そんなのは、当たり前のことなのに。

「もういいわよ。こっちを向いても」

「そうかよ、ったく……」

僕は本棚から、戦場ヶ原を振り向いた。

まだ下着姿だった。

靴下も穿いていない。

やたら扇情的なポーズを取っていた。

「何が目的なんだお前は!」

「何よ。今日のお礼のつもりで大サービスしてあげてるんだから、ちょっとは喜びなさいよ」

「…………」

お礼のつもりだったのか。

意味が分からない。

どちらかというとお礼よりお詫びを求めたい。

「ちょっとは喜びなさいよ!」

「逆切れされたっ!?」

「感想くらい言うのが礼儀でしょう!」

「か、感想って……っ!」

礼儀なのか?

なんて言えばいいんだ?

えーっと……。

きぬず

せんじょう

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「い、いい身体してるね、とか……?」

「……最低」

腐敗した生ゴミを見るように唾棄された。

いや、むしろ憐憫の入り混じった感じ。

「そんなことだからあなたは一生童貞なのよ」

「一生!? お前は未来から来た人なのか!?」

「唾を飛ばさないでくれる? 童貞がうつるわ」

「女に童貞がうつるか!」

いや、男にもうつらないけれど。

「ていうかちょっと待て、さっきから僕が童貞であることを前提に話が進んでるぞ!」

「だってそうでしょう。あなたを相手にする小学生なんていないはず」

「その発言に対する異議は二つ! 僕はロリコンじゃないというのが一つ、そして探せばきっ

と僕を相手にしてくれる小学生だっているはずというのが二つだ!」

「一つ目があれば二つ目はいらないのでは」

「…………」

いらなかった。

「でもまあ、確かに偏見でものを言ったわね」

「わかってくれればいいんだ」

「唾を飛ばさないで。素人童貞がうつるわ」

「認めましょう、僕は童貞野郎です!」

恥辱に満ちた告白をさせられた。

戦場ヶ原は満足そうに頷く。

「最初から素直にそう言っておけばいいのよ。こんなこと、残りの寿命の半分に匹敵する幸運

なのだから、余計な口を叩くべきではないの」

「お前、死神だったのか……?」

取引すると女の裸が見えるのか。

すげえ死神の目だな。

「心配しなくとも」

言いながら、筆笥から取り出した、白いシャツを、水色のブラジャーの上から羽織る戦場ヶ

原。もう一度本棚を見つめ本の数を数えるのも馬鹿馬鹿しいので、僕はそんな戦場ヶ原を、た

だ、眺めるようにする。

「羽川さんには内緒にしておいてあげるのに」

だき

れんびん

どうてい

つば

しろうと

ちじょく

はお

ないしょ

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「羽川って」

「彼女、阿良々木くんの片恋相手じゃないの?」

「それは違う」

「そうなんだ。よく話しているから、てっきりそうなんだと思って、鎌をかけてみたのだけれ

ど」

「日常会話で鎌をかけるな」

「うるさいわね。処分されたいの」

「何のどんな権限を持ってんだよ、お前は」

しかし、戦場ヶ原も一応、クラスの中のこととか、見てないようで見てるんだな。僕が副委

員長であることすら、ことによっては知らないんじゃないかと思っていたが。

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