るつもりだったのでもないだろうけれど、
戦場ヶ原は――顔をあげてしまった。
多分、状況に――
場に、耐え切れなかったのだろう。
それだけだろう。
けれど、事情なんて関係ない。
人間の事情なんて、関係ない。
その瞬間――戦場ヶ原は、後ろに跳ねた。
跳んだ。
まるで重みなんて無いかのごとく、一度も床に足を着くことも擦ることもなく、ものすごい
スピードで、神床とは反対側の、教室の一番後ろ、掲示板に、叩きつけられた。
叩きつけられ――
そのまま、落ちない。
落ちない。
張り付けられたがごとく、そのままだ。
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は
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礫刑のごとく。
「せ、戦場ヶ原――!」
「全く。壁になってやれって言っただろう、阿良々木くん。相変わらず、肝心なときに使えな
い男だね。それこそ壁みたいにぼーっとしているだけがきみの能じゃないだろうに」
忍野は落胆したみたいに言った。そんなことで落胆されても、目で追える速度ではなかった
のだから、仕方がない。
戦場ヶ原は、まるで重力がそのベクトルに働いているかのように、ぐいぐいと、掲示板に押
し付けられているようだった。
壁に――身体が食い込んでいく。
壁が罅割れ、崩壊するか。
あるいは、戦場ヶ原が、潰れそうだった。
「う……う、うう」
悲鳴ではなく――うめき声だった。
苦しいのだ。
けれど――僕には、変わらず、何も見えない。
戦場ヶ原が、一人で壁に張り付いているようにしか見えない。だけど、だけどしかし――戦
場ヶ原には、見えているのだろう。
蟹が。
大きな――蟹が。
おもし蟹。
「仕方がないな。やれやれ、せっかちな神さんだ、まだ祝詞も挙げてないっていうのに。気の
いい奴だよ、本当に。何かいいことでもあったのかな」
「お、おい、忍野――」
「わかっているよ、方針変更だ。やむをえん、まあ、こんなところだろう。僕としては最初か
ら、別にどっちでもよかったんだ」
ため息混じりにそう言って、つかつかと、しっかりした足取りで、忍野は礫刑の戦場ヶ原に
近付いていく。
こともなげに近付いていく。
そして、ひょいっと手を伸ばし。
戦場ヶ原の顔の辺りのやや前方をつかみ。
軽く――引き剥がした。
「よっこらせっと」
たっけい
ひびわ
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のりと
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そのまま、柔道の投げのような形で――つかんだ何かを、忍野は、勢いよく――思い切り、
床に叩きつける。音もしないし埃も舞わない。しかし、戦場ヶ原がされたのと同じように、そ
れ以上に強く――叩きつけた。そして、一拍の呼吸もおかない素早さで、叩きつけたそれを、
踏みつけにした。
神を、踏みつけにした。
至極乱暴に。
敬意も信仰もない、不遜な扱いで。
平和主義者は、神を蔑ろに、した。
「…………っ」
それは、僕からすれば、忍野が一人で、パントマイムを――とんでもなく成熟したパントマ
イムを演じているようにしか見えないのだが、今も、器用にバランスよく、片足で立っている
だけのようにしか見えないのだが、しかし、それがはっきりと見えている戦場ヶ原にしてみれ
ば――
目を丸くするような、光景だったらしい。
光景であるらしい。
しかしそれも一瞬、支えを失ったのだろう、壁に張り付いていた戦場ヶ原は、べちゃりと、
あっけなく、床に落ちる。そんな高さでもないし、戦場ヶ原には重みがないので、落下の衝撃
自体は大したことないだろうとはいえ、完全に意表を突かれる形で落ちたので、受身を取れな
かったようだ。足を強く打ったらしい。
「大丈夫かい?」
一応、忍野は戦場ヶ原にそう声をかけて、それから、己の足元を見遣る。それこそ――純粋
に、値踏みするような目で。
価値を測るような細い目で。
「蟹なんて、どんなでかかろうが、つーかでかければでかいほど、引っ繰り返せば、こんなも
んだよな。どんな生物であれ、平たい身体ってのは、縦から見たところで横から見たところ
で、踏みつけるためにあるんだとしか僕には考えられないぜ――といったところで、さて、ど
う思う? 阿良々木くん」
そしていきなり、僕に声をかけてきた。
「始めからもういっぺんやり直すって手も、あるにはあるんだけれど、手間がかかるしね。僕
としては、このままぐちゃりと踏み潰してしまうのが、一番手っ取り早いんだけど」
「手っ取り早いって――ぐ、ぐちゃりって、そんなリアルな音……たかだか一瞬、頭、上げた
だけじゃないか。あんな程度で――」
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たた ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ?
しごく
ふそん
ないがし
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「あんな程度じゃないんだよ。あんな程度で十分というべきかな。結局、こういうのって心の
持ちようの問題だからさ――お願いできないなら、危険思想に手ェ出すしかないんだ。鬼や猫
を相手にしたときのようにね。言葉が通じないなら戦争しかない――のさ。この辺はまるで政
治だね。ま、このまま潰しちゃったところで、それでも一応、お嬢ちゃんの悩みは、形の上で
は解決するからさ。形の上ってだけで、根っこのところは残っちゃう姑息療法で、草抜きなら
ぬ草刈りって感じで、僕としては気の進むやり方じゃないけれど、この際それもありかなって
――」
「あ、ありかなって――」
「それにね、阿良々木くん」
忍野は、嫌な感じに頬を歪め、笑った。
「僕は蟹が――とてつもなく嫌いなんだよ」
食べにくいからね、と。
忍野はそう言って――
そう言って、足を。
足に――力を。
「待って」
忍野の陰から声がした。
言うまでも無く――戦場ヶ原だった。
すりむいた膝をさすりながら、身を起こす。
「待って――ください。忍野さん」
「待つって――」
僕から、戦場ヶ原に、視線を切り換える忍野。
意地悪な笑顔のままで。
「待つって、何をさ。お嬢ちゃん」
「さっきは――驚いただけだから」
戦場ヶ原は言った。
「ちゃんと、できますから。自分で、できるから」
「……ふうん」
足を引いたりしない。
踏んだままだ。
しかし忍野は、踏み潰すこともせず、
「じゃあどうぞ、やって御覧」
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
こそく
ゆが
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と、戦場ヶ原に言った。
言われた戦場ヶ原は――
僕の視点からでは、とても信じられないことに、足を正座に組み、姿勢を正して――手を床
について、忍野の足元の何かに対して、ゆっくりと――丁寧に、頭を下げた。
土下座の――形だった。
戦場ヶ原ひたぎは――自ら、土下座をした。
進んで、誰にも言われないのに、その形を。
「――ごめんなさい」
まずは、謝罪の言葉だった。
「それから――ありがとうございました」
そこに、感謝の言葉が続いた。
「でも――もういいんです。それは―