第48章

「で、羽川さん。来てたのね」

「…………」

なんか怖いんですけれど。

逃げ出したいくらい。

「まあ、来てたよ。もう帰ったけれど」

「阿良々木くんが呼んだのかしら? そうね、そういえば羽川さん、この辺りに住んでいるん

だものね。道案内の助っ人としては、頼れる人だわ」

「いや、別に呼んでないよ。たまたま通りかかっただけだ。お前と同じだよ」

「ふうん。私と同じ――か」

私と同じ。

戦場ヶ原はその言葉を反復する。

「偶然なんて、つまりはそんなものかしらね――重なるときには重なるものだわ。羽川さん、

何か言っていた?」

「何かって?」

「何か」

「……いや、別に。一言二言……で、八九寺の頭を撫でて、図書館……いや、図書館じゃな

めいがら

ひろう

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かったか、とにかく、どっか行っちゃったよ」

「頭を撫でて――ね。ふうん。そっか。……まあ、羽川さんなら――そうなのかな?」

「? 子供好きってことか? お前と違って」

「羽川さんと私とが違うというのは、そう、確かでしょうね。そう、同じではない。同じでは

ない――では、ちょっと失礼するわよ、阿良々木くん」

言って、戦場ヶ原は、僕の顔に自分の顔を寄せてくる。何をする気なのかと思ったが、どう

やら、僕の匂いを嗅いでいるようだった。いや、僕のじゃなくて――多分……。

「ふむ」

離れる。

「別にラブシーンを演じていたというわけではなさそうね」

「……なに? 僕が羽川と抱き合ってたかどうかをチェックしたのか? 匂いの強弱まで判断

できるのかよ……すげえな、お前」

「それだけではないわ。これで私は阿良々木くんの匂いも憶えたのよ。阿良々木くんの行動は

これから逐一、私に監視されていると思うべきだと、忠告だけはしておきましょう」

「普通にやだな、それ……」

まあ、そうは言っても、通常の人間がそこまでできるとは思えないので、戦場ヶ原が一般よ

りも嗅覚が優れているというのが、ここでの事実なのだろうけれど。ん……しかし、八九寺

と、戦場ヶ原がいない間に二度ほど取っ組み合いを演じたけれど、その際、八九寺の匂いは、

僕の身体に移っていないものなのだろうか? そんなことはいちいち言わないのだろうか。一

回目、戦場ヶ原の見ている前でやったときのと、混ざってしまっているのか……それとも、八

九寺は無臭のシャンプーを使っているのかもしれない。まあ、どうでもいい話だろう。

「で、忍野から話、聞いてきたんだろ? 戦場ヶ原。早く教えてくれよ、どうすれば、こいつ

を目的地まで連れて行くことができるんだ?」

忍野の言葉が、実のところ、ずっと僕の内側に張り付いていた――ツンデレちゃん、つまり

戦場ヶ原が、それを素直に教えてくれればいいけどね、というあれである。

もっとも――と、そう言っていた。

だから、自然、戦場ヶ原を急かすみたいな訊きかたになってしまった――八九寺も、心配そ

うに、戦場ヶ原のことを見上げている。

そして果たして戦場ヶ原は、

「逆だそうよ」

と、言った。

「阿良々木くん。私はどうやら、阿良々木くんに謝らなければいけないそうよ――忍野さん

ちくいち

きゅうかく

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に、そう言われてしまったわ」

「は? あ、なんだ、途中から話題が変わってるのか? お前の話題転換方向修正は、本当に

手際がいいよな。逆? 謝らなければならないこと?」

「忍野さんの言葉を借りると」

戦場ヶ原は、構わずに続ける。

「正しい事実が一つあったとして――それを二つの視点から観察したとき、違う結果が出たと

する。そのとき、どちらの視点が正しいかを判断する方法は、本来ない――自分の正しさを証

明する方法なんて、この世にはないのだと」

「…………」

「でも、だからって、自分が間違っていると決めつけるのも同じくらい違う――んだって。本

当、あの人は……見透かしたことを言うわよね」

嫌いだわ。

そう言った。

「いや……何言ってんだ? お前。いや、お前じゃなくて忍野か? この状況に、そんなの、

あまり関係がありそうにも思えないけれど――」

「蝸牛――迷い牛から解放される方法は、とても簡単なのだそうよ、阿良々木くん。言葉で説

明すれば、とても簡単。忍野さんはこう言っていたわ――蝸牛についていくから迷うのであっ

て、蝸牛から離れれば、迷いはない。だって」

「ついていくから――迷う?」

なんだそれ――あまりにも簡単過ぎてわからない。

言葉が足りない感じだ。それどころか、忍野にしてはいくらか的を外した言葉であるように

も思える。八九寺を見遣るが、無反応だった。しかし、戦場ヶ原の言葉が、彼女の内側で何ら

かの作用を起こしていることは、確かなようで――唇を、閉ざしている。

何も言わない。

「祓ったり拝んだりは必要ないということなの。取り憑いているわけでもないし、障っている

わけでもない――そう。私のときの蟹と、それは同じね。そして、更に――蝸牛の場合、対象

となっている人間の方から、怪異の方に寄っているらしいの。しかも、無意識とか前意識とか

じゃない、確固たる自分の意志でね。蝸牛に自分がついていっているだけ。自分から望んで、

蝸牛の後を追っているだけ。だから迷う。だから、阿良々木くんが、蝸牛から離れれば――そ

れでいいというわけ」

「いや、僕じゃないだろ、八九寺がだよ。でも、それなら――おかしいじゃないか。八九寺

は、別に自分から蝸牛についていっているわけじゃ――そんなこと、望んでるわけないじゃな

はら おが

? ? ? ? ?

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いか」

「だからね、逆――なのだそうよ」

戦場ヶ原の口調は普段と何も変わらない、いつもの彼女の、平坦なそれだった。そこからは

どんな感情も、読み取ることはできない。

感情が顔に出ない。

ただ――機嫌は悪いように思われた。

とても悪いように思われた。

「迷い牛という怪異は、目的地に向かうのに迷う怪異ではなくて、目的地から帰るのに迷う怪

異――なのだそうよ」

「か――帰るのに?」

「往路ではなく復路を封じる――そう」

行きではなく――帰り?

帰るって……どこに帰るんだ。

自分の――家?

来訪と――到着?

「え、しかし――それがどうしたってんだ? いや、話はわかるけれど、で、でも――八九寺

の家は……別に八九寺は家に帰ろうとしているわけじゃないだろう? あくまで、綱手家って

いう目的地に向かっているのであって――」

「だから――私はあなたに謝らなくてはならないのよ、阿良々木くん。でも、それでも、言い

訳はさせて頂戴。悪気があったわけではなかったし……それに、わざとでもなかったの。私は

てっきり、私が間違っているんだと思っていたのよ」

「…………」

言っていることの意味がわからない――が。

酷く意味がありそうだと――直感できた。

「だってそうでしょう? 二年以上もの間、私は普通じゃなかったんだもの。つい先週、よう

やく普通に戻れたばかりなのだもの。何かあったら――私の方が間違ってると思ってしまうの

も、仕方がな

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