る。
「僕が訊きたかったのは――こいつを、八九寺を、お母さんのところに一体どうやったら連れ
て行ってやれるかって――それだけだっただろうが。最初から、それだけだっただろうが。そ
んな、知ったところで誰にも自慢できないような蘊蓄なんて、知らないんだよ。使いどころの
ない雑学なんて――脳の無駄遣いだ。大事なのは――そういうことじゃないだろう」
阿良々木暦のことじゃない。
あくまで、八九寺真宵のことだった。
僕が離れればいいだなんて――違う。
僕は離れては、いけないのだ。
「……わかってるの? 阿良々木くん。その子――そこにはいないのよ。そこにはいないし、
どこにもいないのよ。八九寺……八九寺真宵ちゃんっていうんだっけ。その子は……もう死ん
でるの。だから、もう、当たり前じゃなくて――その子は怪異に取り憑かれてるんじゃなく
て、怪異そのもので――」
「それがどうした!」
怒鳴った。
戦場ヶ原を相手に――怒鳴ってしまった。
「当たり前じゃないなんて、そんなの、みんなそうだろうが!」
「…………」
僕もお前も――羽川翼も。
永遠に続くものなんて――ないんだ。
それでも。
はくいんぼうしょう
うんちく
どな
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「あ――阿良々木さん、痛いです」
八九寺が、僕の腕の中で、頼りなげに、もがく。思わず、強く握り締め過ぎて、肩に食い込
んだ爪が、痛いらしい。
痛いらしい。
そして言う。
「あ、あの――阿良々木さん。この方の、戦場ヶ原さんの、言う通りです。わたし――わたし
は」
「黙ってろ!」
何を喋っても――その声は戦場ヶ原には届かない。
僕にしか届かない。
けれど、その僕にしか聞こえない声で――こいつは最初から、こいつすらも最初から、自分
は蝸牛の迷子なのだと、そう正直に――告げていた。
精一杯、出来る限り、告げていた。
そして、また――言っていた。
最初の最初、一言目に。
「お前には聞こえなかったんだったよな、戦場ヶ原――じゃあ僕が言ってやるよ。こいつは―
―僕に対しても、羽川に対しても、一言目からいきなり、とんでもねえこと吐かしやがったん
だ――」
話しかけないでください。
あなたのことが嫌いです。
「わかるか? 戦場ヶ原。ついてきて欲しくないからって――遭う人間全員に、そんな台詞を
言わなくちゃいけない奴の気持ちが、お前にわかるってのか? 頭を撫でられそうになった
ら、その手に噛みつかなくちゃいけない奴の気持ちなんて――僕には全くわからないぞ」
誰かを頼ればいいなんて――酷い言葉だ。
自分自身がそんな存在だなんて。
おかしいのが自分だなんて。
そんなことは、言えるわけがないのに。
「でも、わからなくても、それでも、自分が道に迷っているときに――一人でいるときに、そ
ういうことを言わなくちゃならない気持ちを、それでも――僕もお前も、違う形で、経験して
きているはずだろう。同じ気持ちじゃなくても、同じ痛みを抱えてきたはずだろう。僕は不死
身の身体になったし――お前だって怪異を抱えた身体になった。そうだろうが、そうなんだろ
うが。だったら、迷い牛だか蝸牛だか知らないが――それがこいつ自身だって言うんなら、全
せいいっぱい
ぬ
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然、話は変わってくるじゃないか。お前には見えないし、聞こえないし、匂いすらも感じない
んだろうけれど――それでも、それだからこそ、こいつを無事に母親のところにまで送り届け
るのが――僕の役目だ」
「……そう言うと思ったわ」
戦場ヶ原にそうするのは全くの筋違いでありながら、思わず怒鳴ってしまったところから、
徐々に僕の頭も冷えてきて、自分が無茶苦茶なことを言っているのは、勿論、わかっていたが
――しかし、戦場ヶ原は、それに対してすら、顔色一つ変えず、眉一つ動かさずに――僕に
言った。
「ようやく――実感できたわ、阿良々木くんのこと」
「……え?」
「阿良々木くんのことを、私、誤解していたみたい。いえ、誤解じゃないか。薄々というか、
重々、それはわかってはいたことだけどね――幻想が消えたっていうのかな、こういうのは。
阿良々木くん。ねえ、阿良々木くん。先週の月曜日、私の些細な失敗から、阿良々木くんに、
私の抱えていた問題がバレちゃって……そうしたら阿良々木くんは、その日の内に、即日に―
―私に、声を掛けてくれたわよね」
力になれるかもしれないと言って。
僕は戦場ヶ原に、呼びかけた。
「正直、私は、その行為の意味を計りかねていたのよ――どうして阿良々木くんがそんなこと
をしたのか。だって、そんなこと、阿良々木くんにとって、何の得にもならないじゃない。私
を助けても、いいことなんて一つもないのに――どうしてかしら。阿良々木くんは、ひょっと
して、私だから助けてくれたのかしら?」
「…………」
「でも、そうじゃなかった。そうじゃなかったみたい。そうじゃなくて、単純に、阿良々木く
んって……誰でも助けるだけなのね」
「助けるって……そんな大それたことじゃないだろ。大袈裟に言うなよ。あの状況なら誰だっ
てそうするって――それに、お前も言ってたろ、僕はたまたま、似たような問題を抱えてて、
忍野のことを知っていて――」
「似たような問題を抱えてなくとも、忍野さんのことを知らなくとも、同じことをした――ん
じゃないかしら。忍野さんから聞いた限りだと」
何を話した、あの野郎。
あることないこと言い散らしたに決まっている。
「少なくとも私は――住宅地図の前にいる姿を二度ほど見た程度で、知らない小学生に声をか
じゅうじゅう
ささい
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けようとは思わないわ」
「…………」
「ずっと一人でいると、自分が特別なんじゃないかって思っちゃうわよね。一人でいると、確
かに、その他大勢には、ならないもの。でも、それはなれないだけ。笑っちゃうわ。怪異に行
き遭ってから二年以上、私の抱えている問題に気付いた人は、実のところ、たくさんいたけれ
ど――最終的にどんな結果になろうとも、阿良々木くんみたいなのは、阿良々木くんだけだっ
たから」
「……そりゃ、まあ、僕は僕だ
けだろうよ」
「そうね。その通りだわ」
戦場ヶ原は微笑んだ。
そして、それは勿論、たまたま角度が合っただけなのだろうけれど――戦場ヶ原ひたぎは、
はっきりと、八九寺真宵のことを、見た。
「忍野さんからの最後の伝言よ、阿良々木くん。どうせ阿良々木くんはそういう甘っちょろい
ことを言い出すだろうから、優しい優しいこの僕が、今回に限り使えるだろう裏技を一つ伝授
しておこう――って」
「う――裏技?」
「本当――見透かしてるわよね、あの人。一体、何を考えて生きているのか、皆目見当つかな
いわ」
じゃあ行くわよ、と、軽い調子でマウンテンバイクに跨る戦場ヶ原。既にマシンが自分の所
有物であるかのような、手馴れた扱いだった。
「行くって、どこへ」
「勿論、綱手さんのおうちよ。善良な一市民として、八九寺ちゃんを送り届けにね。私につい
てきて頂戴、先導してあげるわ。それから、阿良