第58章

のことをずっとおんぶしてくださって、道案内

をしてくれたものです」

「過去の記憶が美化されてるぞ!?」

八九寺の中で戦場ヶ原とのことは、さだめしトラウマになってしまっているようだ。まあ、

お互いの抱える事情を考慮すれば、さもありなんっていう感じだけど……。

八九寺は腕組みを続けたまま、

「ふうむ」

と唸ってみせる。

「あれ、でも……確か、阿良々木さんと戦場ヶ原さんは――その、まあ、何と言えばよいので

しょうか、えーっと」

八九寺はどうやら、慎重に言葉を選んでいるようだった。質問の内容はおおよそ見当がつく

けれど、多分、八九寺としてはそれを直截的な表現で口にすることへの抵抗があり、なんとか

別の言い方を探っているといったところだろう。小学五年生のボキャブラリーで、一体全体ど

のような取捨選択が行われるのか、好奇心というほどではないにせよ、少なからず興味があっ

たので、あえて助け舟を出さずに、八九寺を見守る僕だった。

やがて、八九寺は言った。

「……恋愛契約を結んでらしたんですよね?」

「最悪のチョイスだな!」

まあ予想通り、怒鳴ることになった僕だった。

教科書のように綺麗なやり取りだ。

「は? 阿良々木さん、わたし、何かおかしなことを言ってしまいましたか?」

「表面的にはおかしな言葉ではなくとも、その裏に匂うとても嫌な意味合いを、感じ取れない

人間はなかなかいないと思うぞ……」

「契約……で駄目なら、阿良々木さん、取引ではいかがでしょうか。恋愛取引」

「より酷くなった! いいからもう普通に言え!」

あふ

むす

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「はあ。ではまあ、お言葉に従いまして、普通に言うことにしましょう。その気になれば普通

にすることくらい、わたしにとってはお茶の子さいさいです。では、いきますよ? 阿良々木

さんと戦場ヶ原さんって、確か、男女交際をされていましたよね」

「……うん、まあ」

男女交際か。

えらく古めかしい言い方で攻めてきたな。

それがお前の普通なのか……。

「では、勉強を教えてもらうなんて言っても、そんなのはただの口実にしかならなくて、お二

人で乳繰り合ってしまうだけではないですか?」

「………………」

乳繰り合うとは、また、古めかしい……。

こいつのボキャブラリーは絶対に変だ。

「留年できるかどうかが問われている実力テストを前に、恋人さんのお家を訪問するだなん

て、わたしからすれば、自殺行為としか思えませんが、阿良々木さん」

「卒業できるかどうかだ、僕が問われているのは」

かなりの馬鹿だと思われているらしい。

僕は僕が可哀想だった。

「あと、自殺行為とか言ってんじゃねえ」

「では、自殺そのものとしか思えませんが」

どうやら僕は小学生から苛めに遭っているらしい。

僕は僕が可哀想だった。

「お前とはいずれ、出るところに出て決着つけなくちゃいけないみたいだよな……」

「出るところが出ている? 胸とかお尻とかですか? 阿良々木さんは小学生の身体に何を求

めているのでしょう」

「黙れ。揚げてもない足を取ろうとするな」

僕は八九寺の頭を叩いた。

八九寺は僕の脛を蹴り返した。

痛みわけ。

相身互い。

「まあ、でも、その辺は大丈夫だよ、八九寺……戦場ヶ原の奴、そういうところには、やたら

めったら厳しい奴だから」

「厳しいとは、お勉強に? スパルタなんですね。ああ、そういえば、あの方、馬鹿が嫌いそ

ちちく

かわいそう

すね け

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うですよね」

「ああ。嫌いだって言ってた」

だから戦場ヶ原は子供が嫌いなのだ。

八九寺のことも嫌いなのだ。

ひょっとしたら僕のことも嫌いかもしれない。

もっとも、今の会話の流れで言うならば、戦場ヶ原が厳しいのは、お勉強に対してというこ

とだけでは、ないのだが……まあ、その辺は、優等生ということで。

「さながらハートフル軍曹ですね」

「なんだそのいい人そうな陸軍下士官は」

「えーっと、戦場ヶ原さんのお家といいますと、この間の公園の――」

「いや、言ったと思うけれど、戦場ヶ原はそこからは結構前に引っ越していて――僕は、お前

と会うちょっと前に一度、もうお邪魔したことがあるんだけど、結構、遠い場所でな。家に

帰って、チャリを乗り換えて、それから向かうとして……ああ、考えてみりゃ、時間、そんな

余裕あるわけでもないのかな」

「お急ぎでしたら、野暮なお引止めはしませんが」

「いや、切羽詰まっているってわけでもないさ」

それに、戦場ヶ原の家に行くのだと言っても、どうしてもやることがお勉強だから、いまい

ち乗り気になりきれないというのも、偽りのない本音の部分だしな……そんなことを戦場ヶ原

に言ったりしたら、どんな暴言毒舌がこの身に浴びせられることになるのか、知れたものでは

ないが。

しかし、まあ。

戦場ヶ原ひたぎ。

八九寺もそうなのだけれど、しかし、戦場ヶ原は戦場ヶ原で――

「なあ、八九寺……お前って」

と、そんな風に。

言いさしたところで、背後から、音が聞こえた。

音。

足音、である。

細かく刻まれたリズムが小気味いい、『たっ、たっ、たっ、たっ、たっ、たっ』と、走って

いるというよりは、一歩ずつ跳ねているような、一歩ずつ跳んでいるような――そんな足音。

もう、後ろを振り向いて確認するまでもなかった。

そうなんだよな……。

せっぱつ

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平和で平穏でないというなら、ある意味、実力テストの他にも、非常に困った問題を抱えて

いるんだよな、この僕は……。

撒いたと思っていたのに。

たっ、たっ、たっ、たっ、たっ、たっ。

どんどん近付いてくる足音。

確認するまでもないとはいえ――

しかし、振り向かないわけにもいかない。

たんっ!

そして、僕が嫌々の渋々、ゆっくりと身体を捩ったときに――彼女は、跳んでいた。

彼女は。

神原駿河は、跳んでいた。

走り幅跳びよろしく、一メートルや二メートルではきかない距離を、まるで万有引力の法則

を無視しているかのごと

く、理想的なフォームと軌道で空中に――空中のままに、僕の右側

を、ほとんど顔のすぐ横辺りを、通過して――

そして着地する。

その瞬間、乱れた髪が、すぐに落ち着く。

制服姿。

今度は、言うまでもなく、僕の学校の制服。

スカーフの色が、二年生の黄色。

ちなみに、そんな制服姿での跳躍だったために、その今風に短く改造されたスカートが思い

切りめくれかえっていたが、しかし彼女は膝の辺りまで届くスパッツを着用していたため、僕

は全く幸せな気持ちにはならなかった。

そのスカートも、少し遅れ、ぱさりと元に戻る。

不意に、ゴムの焼けるような臭い。

彼女の履いている、いかにも高級そうなスニーカーの裏面が、道路のアスファルトと激しい

摩擦を起こした結果らしい……どんな桁外れの運動能力なのだろう、こいつは。

そして、バスケットボール部のエース。

神原駿河が――振り向いた。

やや幼さが残るが、しかし、三年生でも滅多にいないような、凛々しい雰囲気を漂わす表

情、そしてきりっとした眼で――まっすぐに、

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