僕を見る。
宣誓でもするように、胸に手を置いて。
そして、にこりと、軽く微笑む。
ま
ねじ
は
めった りり
ほほえ
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「やあ、阿良々木先輩。奇遇だな」
「こんな仕組まれた奇遇がありえるか!」
明らかに狙いすまして駆けてきただろうが。
辺りを見れば、八九寺は、見事に姿を消していた。僕に対してはあんなずばずば、ずけずけ
と物を言う癖に、意外と人見知りをする子供である八九寺真宵、さすがに判断が早い、あまり
にも軽やかなフットワークだった。まあ、あいつでなくっても、見知らぬ女がものすごいス
ピードで走ってきたりしたら(あいつの位置からは、神原が自分目掛けて突貫してきたように
見えたはずだ)、誰だって普通に逃げるだろうけれど。
しかし、本当に友情に薄い奴だ……。
まあいいけど。
視線を戻すと、神原は、何故かうっとりした風に、深々と感じ入っているように、何度も何
度も繰り返し、頷いていた。
「……どうしたんだよ」
「いや、阿良々木先輩の言葉を思い出していたのだ。心に深く銘記するためにな。『こんな仕
組まれた奇遇がありえるか』、か……思いつきそうでなかなか思いつきそうにない、見事に状
況に即した一言だったなあ、と。当意即妙とはこのことだ」
「………」
「うん、そうなのだ」
そして神原は言った。
「実は私は阿良々木先輩を追いかけてきたのだ」
「……だろうな。知ってたよ」
「そうか、知っていたか。さすがは阿良々木先輩だ、私のような若輩がやるようなことは、全
てお見通しなのだな。決まりが悪くて面映い限りではあるが、しかし素直に、感服するばかり
だぞ」
「………………」
やりづれえ……。
僕の顔に、今どんな表情が貼り付いているのかは果たして定かではなかったが、しかし、そ
んな僕には全く構うことなく、神原駿河は、溌剌とした笑顔を、僕に向けているのだった。
三日前。
廊下を歩いていたら、よく響く足音と共に近付いてきたこの女、神原駿河から、当たり前の
ように声を掛けられた。あまりに当たり前のようだったから、そのときはつい普通に対応して
しまったが、しかし相手は二年生のスター、抜きん出た有名人。いくら僕がそういった噂めい
くせ
おもはゆ
はつらつ
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たものに疎い人間であったとしても、知らないわけがない相手だった――がしかし、彼女と僕
との間に接点などありえないと、縁があるはずなんてないとばかり思っていた――ので、少な
からず驚いた。
しかし、僕が真に驚いたのは、彼女の有するその性格の方だった。いや、何と言えばいいの
かわからないけれど、とにかく、不可思議な……これまでの僕の人生で、一度も遭遇したこと
のないパーソナリティ、キャラクターを、神原駿河は有していたのだった。
そして。
それ以来、つまり三日前から今日この日この瞬間に至るまで、こんな風に――僕は神原駿河
に、付きまとわれているというわけだ。いついつでも、どんな場所でも、『たっ、たっ、
たっ、たっ、たっ、たっ』と、人の目も気にせずに、神原は僕を目掛けて駆け足で向かってく
るのだった。
「……休み時間やらはともかくとして、お前、神原、放課後は部活なんじゃないのかよ。こん
なところにいていいのか?」
「ほほう。さすがに鋭いな、阿良々木先輩は。些細な疑問を絶対に見逃さない、まるで探偵小
説の主人公だ。フィリップ?マーロウだって、阿良々木先輩の前では裸足で逃げ出すだろう」
「全国区のバスケットボール選手がこんな時間にこんなところにいる不自然を指摘したくらい
のことで、そこまで誉めそやすな」
この程度のことで裸足で逃げ出す探偵が主人公の探偵小説なんて、読みたくねえよ。
「命から二番目の武器として謙虚な姿勢を決して見失わない、その慎み深い自戒に満ちた言葉
……ともすればすぐに自分自身を勘違いしてしまう私としては、積極的に見習わせていただき
たいものだ。ふふ、古くから朱に交われば赤くなるというが、阿良々木先輩とこうしているだ
けで、自分が人間的に成長していくのを感じるな。あやからせてもらうとはこのことだ」
にこにこしてそんなことを言う神原。
笑顔に悪意は全くないが。
……僕は、今まで善人というのは、羽川みたいな奴のことをいうのだと思っていたけれど、
その究極の形というのは、案外、この神原のような人間のことをいうのかもしれない。
要するに、羽川よりも酷い。
あの委員長よりも迷惑だ。
「でも、ほら、今、私はこんな手だからな」
神原は、そう言って、自分の左腕を僕に示した。
真っ白い包帯がぐるぐるに巻かれた、左腕。五指の爪先から手首の部分まで、隙間なくぐる
ぐるだ。制服の長袖に隠れてよく見えないけれど、実際、肘の辺りまで、包帯が巻かれている
ささい
すきま
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そうである。なんでも、ちょっと前に、自主トレ中に誤って、変な風に捻挫してしまったと
か、なんとか――まあ、その噂は、神原が僕に声をかけてくるその直前に、既に聞いていたの
だが。
噂は噂。
話半分にしたって――これだけの運動能力、それに、身体の柔軟性を持つ神原駿河が、自主
トレとはいえ捻挫だなんて、にわかには信じがたかったが、実際、こうして包帯を巻いている
以上は、真実なのだろう。弘法にも筆の誤り、河童の川流れ、猿も木から落ちる。
「プレイができない癖に体育館にいても、邪魔になるだけだから、私は現在、部活への参加は
遠慮させてもらっているのだ」
「つってもお前、キャプテンなんだろ? そうでなくとも、お前がいなきゃ、チームの士気が
下がっちまうだろうに」
「私のチームを、そんなワンマンチームみたいに言われるのは心外だぞ、阿良々木先輩。私の
チームは、私がいない程度のことで士気が下がるような、軟弱なチームではない」
神原は語気を強くして、そう言った。
「バスケットボールは過酷なスポーツなのだ。一人の力でどうにかなるものではない。ポジ
ション的に、つまり役割として私が目立っているのは認めるのにやぶさかではないが、それも
みんなの力があってこそなのだ。だから、私が浴びている称賛は、チームのみんなで分け合う
べきものだ」
「……あ
あ、そうだな」
こういう奴……なんだよなあ。
善良というか、善人というか。
なんというか。
今に限ったことではなく、チームメイトの悪口(のつもりはなかったのだが)には、神原は
どうやら、すごく敏感らしかった。一年生の頃、新聞部のインタビューで、当時の先輩に対し
失礼なことを言われたという理由で、机をひっくり返した――みたいな噂もあるくらいだし
(ちなみにその噂はデマだったが、しかし、どうやら似たようなことはあったらしい)。
ふふ、と、そこで神原は笑みを漏らす。
「わかっているぞ、阿良々木先輩。今のは私のキャプテンとしての資質を試したのだろう?」
「………………」
得意満面な手柄顔で何を言い出す、この後輩。
そんな目を僕に向けるな。
「全く、阿良々木先輩の言葉を後世に残すために記述する際には、執筆者には全て太