第67章

ころで、動きを止めていた。こうなると、後頭部を抱

える形の左手は、僕が余計な動きを見せて自分の手元が狂わないようにという戦場ヶ原なりの

配慮なのかもしれないと思わせるほどの、手際のよさだった。

……せ、戦場ヶ原、ひたぎ。

お前、ホッチキス持ってないってだけで、ちっとも変わってないじゃん!

「あの子がどうかしたの、阿良々木くん」

「…………!」

おいおい……!

こんな嫉妬深い女なのか、こいつ……!

何て冗談みたいな情の深さなんだ……大体、そんな親しげなニュアンスなんてなかっただ

ろ、今の。後輩を呼び捨てにしただけだぞ? 自分の知らないところで自分以外の女子と知り

合っているってだけで、ここまでの仕打ちをされてしまうのか……実際に浮気とかしたら、僕

は一体、戦場ヶ原から、どんな目に遭わされてしまうんだ?

こんな恐ろしい目に遭っているけど、しかしこれはこれで、逆に、早く言っておいてよかっ

たと、安心させられるような状況だった。いや、本当によかった、十分に言い訳の余地がある

今回のようなケースで、戦場ヶ原のそういう一面を知っておけて……!

「阿良々木くんって、怪我の回復、とても早いのだったわよね。じゃあ、目玉の一つくらいな

ひざだ

まばた

しっと

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ら、いいかしら?」

「やめろやめろ! さすがに眼球はまずい! やましいところは何もない、親しげになんて全

く思っていない、僕は戦場ヶ原一筋だ!」

「あらそう。気持ちいいことを言ってくれるわね」

すっと――シャープペンシルを引く。それをくるりと手の内で二回ほど回転させて、卓袱台

の上に置き、散らかってしまったノートや教科書を、整え直す。僕はばくばくしたまま静まる

ことのない心臓を抑えながら、戦場ヶ原のそんな様子を見守った。

「少し熱くなってしまったかもしれないわ。びっくりさせちゃったかしら、阿良々木くん」

「……お前、絶対その内、人を殺すぞ」

「そのときは、阿良々木くんにするわ。初めての相手は、阿良々木くんにする。阿良々木くん

以外は、選ばない。約束するわ」

「そんな物騒なことをいい台詞みたいに言ってんじゃねえよ! 僕、お前のことは好きだけ

ど、殺されてもいいとまでは思わないよ!」

「殺したいくらいに愛されて、愛する人に殺される。最高の死に方じゃないの」

「そんな歪んだ愛情は嫌だ!」

「そうなの? 残念ね。そして心外だわ。私は阿良々木くんにだったら――」

「殺されてもいいっていうのか?」

「……ん? え、あ、うんまあ」

「曖昧な返事だーっ!」

「うんまあ、それは、そうね、よくないけれども」

「そして曖昧なまま断ったーっ!」

「いいじゃない、納得しなさいよ。私が阿良々木くんを殺すということは、つまり阿良々木く

んの臨終の際、一番そばにいるのがこの私ということになるのよ? ロマンチックじゃない」

「嫌だ、僕は誰に殺されるとしても、お前に殺されるのだけは嫌だ、誰にどんな殺され方をさ

れてもお前に殺されるよりはマシな気がする」

「何よ、そんなの、私が嫌よ。阿良々木くんが私以外の誰かに殺されたなら、私はその犯人を

殺すわ。約束なんか、守るものですか」

「…………」

こいつの愛情は、既に相当、歪んでいる。

愛されてることは、実感できるけど……。

「ともあれ、神原の話だったわね」

危険な会話はその辺りでおひらきとばかりに、戦場ヶ原は相変わらずの手順で、当然のよう

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に話を戻す。

「まあ、部活は違ったのだけれど、私は陸上部のエースで、あの子はバスケ部のエースだった

から、学年は違えど、それなりに付き合いがあって――それに」

「それに?」

「……まあ、今となっては取り立てて言うほどのことでもないんだけれど、部活を離れたプラ

イベートにおいても、あの子には色々と面倒をかけたというか、面倒を見させられたというか

……いえ、阿良々木くん」

と、僕に水を向ける戦場ヶ原。

「その前に、どうして阿良々木くんがここで、あの子の名前を出したのか、教えてくれるかし

ら。やましいところがないのなら、ちゃんと説明してくれるわよね」

「あ、ああ」

「勿論、やましいところがあっても、ちゃんと説明してもらうわよ」

「………………」

下手に隠し立てをすると本当に殺されるかもしれなかったので、僕は三日前から、その、神

原駿河からストーキングを受けているということを、戦場ヶ原に話した。後ろから『たっ、

たっ、たっ、たっ、たっ、たっ』と、小気味よいリズムで駆けてきて、僕を相手に取り留めの

ない話をして、全く何の目的も匂わせないままに帰っていく一人の後輩――神原駿河。何か目

的はあるのだろうけれど、その目的がわからない、と。

説明しながら、僕は思っていた。

神原はきっと、戦場ヶ原のいないところを狙って、僕を訪ねてきていたのだろう。今日、八

九寺と一緒にいるところを目掛けて駆けて来たのは例外として、基本的には僕が一人でいると

ころを、狙い澄ましてきていたはずだ。つまり、戦場ヶ原が神原のストーキングを今まで知ら

なかったことは、たまたまではない。

更にもう一つ、思う。

親しげに呼ぶ――というのなら、僕よりもむしろ、戦場ヶ原ではないのか、と。中学時代の

後輩とはいえ、戦場ヶ原が神原のことを、『あの子』なんて言い方をするのは、そう、ニュア

ンスとしてあまりにも――いや、それは単なる言葉の綾なのかもしれないけれど。

感情が表情に出ないのと同様、戦場ヶ原は、感情が声音に全く現れない。どんなことを言う

のにも、ほとんど平坦な口調といっていい。どれだけの強い意志で自分を律しているのだろう

と考えると、ぞっとするくらいだ。

けれど――あの子、か。

「そう」

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おおよその説明を聞いたところで、戦場ヶ原は、やがて、そう頷いた。やはり、表情一つ変

わらないし、平坦な口調だった。

「ねえ、阿良々木くん」

「なんだよ」

「上は洪水下は大火事、なーんだ」

「……?」

どうしていきなりなぞなぞなのだろう。

一体戦場ヶ原はいつからなぞなぞキャラになったんだと不思議に思いながら、僕はとりあえ

ず、その間いに答える。それは幸い、知っているなぞなぞだった。

「そりゃ

まあ、風呂釜、だろ?」

「ぶっぶー。答は」

平坦なままで言う戦場ヶ原。

「……神原駿河の家よ」

「お前、学校のスターの家に何をするつもりだ!?」

マジ怖いって!

眼が据わってるって!

「まあ、冗談はともかく」

「お前の冗談は洒落になってないんだよ……実行しかねないんだもん、お前」

「そうかしら。でも、阿良々木くんがそこまで言うのだったら、冗談は口だけにしておいてあ

げてもいいわよ」

「いや、それが普通なんだけどな……」

「神原はね、阿良々木くんより一年前に、私の秘密に気付いたの」

特にどうということもなさそうに――普通の調子で、しかしそれでも若干鬱陶しそうにしな

がら、戦場ヶ原はそう言った。

「私が二年生になったばかりの頃、つまり神原が直江津高校に入学してきてすぐのこと。学校

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