第77章

から、学校とかじゃ、

話、駄目だったってことか」

「いや、そうじゃなく、学校では目立つというか、人目を憚るというか……できれば、他の人

には見られたくなかったから」

言って――神原は、左手の、真っ白い包帯を、解きにかかった。ぐるぐるに巻かれたその包

帯を、留め金を外し、指に近い方から、順番に――

思い出す。

昨夜のこと。

自転車を破壊したのも、ブロック塀を崩したのも、僕の内臓を破裂させたのも――

全て、左手で作った拳だったことを。

「正直に言って、あまり人に見られたいものではないのだ。私はこれでも一応、女の子なので

な」

包帯が完全に解け――神原は制服の袖を、捲り上げる。そしてそこに僕が見たのは、神原

の、女の子らしい、細くて柔らかそうな二の腕から連なる、肘から先が――野生のけだものの

それのような、真っ黒い毛むくじゃらの、骨ばった左手だった。

破れたゴム手袋の穴から覗いた。

けだものの、匂い。

「まあ、こういうことなのだが」

「………………」

そういうデザインの手袋とか、マペットとかじゃ――ないよな、明らかに。長さも細さも、

それにしてはあからさまに不自然だし――それに、そんな見た目上の理屈を抜きにしたって、

僕はゴールデンウィークに、これと似たようなものを、似て非なるものを、確実に目撃してい

る――だから、僕にはこれがわかる。

これが、怪異そのものであることが。

怪異。

野生のけだもの――といっても、しかし、それが何かと問われれば、全くぴんと来ない。ど

んな動物のようでもあり、またどんな動物のものでもないような気がした。全てに似ている代

わりに、何にも属していないように見えた。それでも、あえて言うなら、五指、それぞれにあ

る程度の長さがある指の先の爪の形から、あえて言うなら――

それこそ女の子の身体の一部を形容するのに、あんまり、適切な表現だとは思わないけれ

ど。

「猿の手」

はばか

めく

? ? ? ? ? ? ?

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?

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僕は言った。

「猿の手――みたいだ」

猿。

哺乳綱サル目類から、人類を除いた動物の総称。

「ほう」

神原は、何故か――感嘆したような表情をした。

そして、ぱしんと、組んだ膝を、自分で打つ。

「阿良々木先輩はやはり計り知れないほどの慧眼だな。恐れ入った、持っている目がまるで違

う。一見してこれの正体を見抜いてしまうとは、驚きの一言に尽きる。私のような凡俗とは、

積み重ねている知識が全く違うようだな――となると、これ以上の余計な説明は不要というわ

けか」

「か、勝手に納得するな!」

ここで説明をやめられてたまるか。

生殺しもいいところだ。

「僕はただ、見たままの感想を述べただけだよ。何も見抜いてなんかいない」

「そうなのか? ウイリアム?ウイマーク?ジェイコブズの短編小説のタイトルなのだが――

『猿の手』。原題は『TheMonkeysPaw』だから、まあ直訳と言ってもいいはずだ。『猿の

手』というテーマ自体は色んなメディアでいいように使われているから、派生して派生して、

色んなパターンがあるけれど――」

「全然知らない」

正直に言った。

そうなのか、と神原。

「何も知らないままに真実を言い当ててしまうなんて、阿良々木先輩は天におわす何者かに選

ばれているとしか思えないな。理屈抜きで本質を直観するとは」

「……まあ、勘のよさには定評があるよ」

「やはりそうか。うん、私は私を誇らしく思う。阿良々木先輩ほどではないけれど、そんな阿

良々木先輩に一目置いていた、私の勘にもまた、狂いはなかったということだからな」

「そうか……」

照準狂いまくりだと思うけれど。

えっと、と、僕は改めて、神原の左手を見る。

けだものの手――猿の手。

「さ……触ってもいいのか」

ほにゅうこう

けいがん

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「うん。今は別に、大丈夫だ」

「そ、そうか……」

許可を受けて、僕は神原の手首の部分辺りに――そっと触れてみる。

恐る恐る、こわごわと。

質感、肉感……体温、脈拍。

生きている。

この怪異は――やはり、生きているタイプの怪異。

……あんな有様だった部屋を見られるのは平気な神原駿河でも、さすがにこの左腕を見られ

るのには、抵抗があった、というわけか……無論、自主トレ中に捻挫したというあの弁は、方

便だったということになるのだろう。包帯は怪我を保護するためじゃなくて、腕を隠すための

方法……、捻挫しているという割に、全くそんな素振りを、身体の左側を庇うような仕草を見

せないから、どっかおかしいとは、思ってはいたのだが……いや、そんなことを、後から言っ

ても、説得力はまるでない。

とは言え、しかし。

こんな左手では、バスケットボールができないのは、確かなのだろうけれど。

思わず。

ぎゅっと――その手首を、僕は握ってしまう。

「ん、あ、やんっ」

「変な声をあげんな!」

思わず手を振り離した。

「阿良々木先輩が変な触り方をするからだ」

「変な触り方なんてしてねえよ」

「私はくすぐったがりなのだ」

「だからっていきなりこれまでのキャラを崩すような声音をあげてんじゃねえよ……」

って、思い出してみれば、戦場ヶ原の奴も、そういうこと、何度かやってたな。勿論、使い

方は、今の戦場ヶ原とは対極に違うのだろうけれど、しかし、神原が今のようにそれを体得し

ているということは、じゃあ、あれは中学時代からの戦場ヶ原の持ちネタだったってことか…

…。

「忘れてるのかもしれないけどな、神原、ここ、お前の家で、お前の部屋なんだぞ? そんな

声を出してるのをお前の両親とかに聞かれたら、僕、どうなっちまうんだよ」

「ああ、それは大丈夫」

神原は快活に言う。

? ? ? ?

みゃくはく

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?

ねんざ

かば

たいとく

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「両親のことは、全く、気にしなくて

いいから」

「……なら、いいけど」

え……?

なんだその、触れられたくないみたいな、露骨にそれ以上の追及を拒むみたいな言い方は…

…それこそ、これまでのキャラを、崩すような言葉を、いつも通りに、快活に。

まあまあ、と、神原はさっさと、仕切り直す。

左手を、ぐーぱーにしながら。

「この通り、今は、思い通りに動くのだが――しかし、思い通りに動かなくなるときがあるの

だ。いや、違うな。思いに反して動くようになる、というのだろうか――」

「思いに反して?」

「いや、思いというか、想いというなら――ううん。どうもわかりづらいな。自分でもよくわ

かっていないことを説明しようとしているのだから、当然なのかもしれないが……つまり、阿

良々木先輩。昨晩、阿良々木先輩を襲ったのは確かに私なのだが、私で間違いないのだが――

私にはその記憶が、ほとんど、ないのだ」

神原は、そう言った。

「夢うつつというか夢心地というか――全く憶えていないわけではないのだが、まるでテレビ

の映像でも見ているようというか、関与で

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