ほどじゃあないよね。この場合は普通に普通の暗示って感じだ
ろ。勿論、メフィストフェレスなんて、恐ろしさも極まる別格悪魔ではないよ――もっと低俗
な悪魔さ。階級の低い、そもそも階級に組み込まれてもいないだろう、体のいい使い魔のよう
な存在。そうなるとその種類を特定するのは本来とても難しいんだけれど、猿の腕を持つ雨合
羽の悪魔となれば、必然、数は限られてくる――持ち主と一体化するってのは、レイニー?デ
ヴィルだ」
レイニー?デヴィル。
雨降りの悪魔。
「猿の手じゃない、悪魔の手だ。はっはー、そう考えると、わかりやすいんじゃないかい?
どうして猿が人間の願いを、代償もなく叶えてくれるものかって話だろう? 猿の手がどうし
て願いを叶えてくれるのかと言えば、インドの老行者が不思議な力を込めたからだと、そうい
う説明がなされているわけだけれど、悪魔なら、そんな説明も触れ込みも一切いらないだろ
う? 叶えてくれるさ、だって、魂と引き換えなんだから」
「魂――」
「魂と引き換えに、三つの願いを叶えてやろう。当たり前のことさ、悪魔なら」
ふん、と鼻で笑うようにする忍野。
馬鹿にしきった態度だった。
「大体、猿の手なら右手だよ。左手じゃない」
「……そうなのか?」
「猿の手は右手で握って使用するアイテムだからね。普通に考えれば右手だと思うけれど。し
かし、悪魔の手か。体系的な悪魔ではないとはいっても、こいつはびっくりだな。阿良々木く
んにしてみれば、もう吸血鬼に遭ったくらいだから、大抵のことではびっくりしないのかもし
れないけれど……しかし、日本でそういう種類の悪魔ってのは、すごい話だよ。蒐集のし甲斐
がある。ま、その手の願いを叶える系の妖怪っていうのは、確かに日本でもこと欠かないんだ
けどさ。なんだかなあ、委員長ちゃんのことといい、ツンデレちゃんのことといい、迷子ちゃ
んのことといい、こうしてみると同列なんだけど……ここはおかしな町だよ、本当に。挙句の
果てには閻魔大王でも召喚されるんじゃないのかな。……お嬢ちゃん、その左手、お母さんか
てい
しゅうしゅう
えんま
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ら受け継いだって言ったよね? 神原っていうのは父親の姓だろう。お母さんの旧姓って、わ
かる?」
「確か――えっと、少し珍しい名前で」
神原はゆっくりと記憶を探るように、答える。
「『臥煙』だったかと。臥薪嘗胆の『臥』に、煙幕の『えん』で、『がえん』……臥煙遠江と
いうのが、母の結婚前の名前だ」
「……へえ。ああ、そうかい。『とおえ』っていうのは、『遠い』に長江の『江』だよね。つ
まり遠江か。駿河っていうお嬢ちゃんの名前は、その辺が由来なわけだ。はっはー、いいセン
スだね」
「結婚後は勿論、神原遠江だった。しかし忍野さん、それがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって? お嬢ちゃん、それはまさか僕に訊いたのかい? いやいや、どうも
しないよ。間を持たすためになんとなく訊いてみただけ、何も関係ない。それに、そんな背景
はどうでもいいしね、この場合。で、阿良々木くん、それにお嬢ちゃん。話は全部わかった
し、その手の正体も、猿の手だったところで悪魔の手だったところで、きみ達にしてみれば同
じことなのかもしれないけれど、それで僕のところを訪ねてきて、これからどうしようって腹
積もりなんだい?」
「どうしようって――」
「いや、阿良々木くん、勿論、僕はいっぱしの専門家だからね。半可通のなんちゃってオーソ
リティとして、こういう事態にあたって、力を貸すことにはやぶさかではないんだよ」
「た――」
神原が身を乗り出す。
「助けて、くれるのか」
「助けないよ。力を貸すだけ。きみが一人で勝手に助かるだけだよ、お嬢ちゃん。救いを求め
ているのなら、僕じゃお門違いだし、そもそも、出る幕じゃないさ。でもね、この場合――阿
良々木くん、僕は何をすればいいのかな?」
意地悪い口調で――しかし、決まりきった答を求めているのではなく、僕の答を本当に待っ
ているかのように、忍野は言葉を後に続けない。どうしてだろう? 何をすればいいのかって
……そんなの、決まっているじゃないか。
「おい、忍野……」
「つまり、今回僕は、一体何を手伝えばいいのかということなんだよ、阿良々木くん。お嬢
ちゃんの二つ目の願いを叶えるのを手伝えばいいのかい? それとも、二つ目の願いをキャン
セルするのを手伝えばいいのかい? それとも、お嬢ちゃんの左腕を元に戻すのを手伝えばい
がえん がしんしょうたん とおえ
とおとうみ ゆらい
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いのかい? それとも、その全てかい? 全てっていうのは、少し欲張り過ぎな気もするけれ
どね――確かに、言えるのは、その全部が、一筋縄にはいかないってことだ」
「いや……えっと」
全てと言えば――その全てになるのか?
でも。
「今起きている現象を、簡単に解決する方法は、とりあえず、二つあるよ。一つは、阿良々木
くんが、夜、雨合羽の化物――レイニー?デヴィルに殺されること。そうすれば、お嬢ちゃん
の腕も元に戻るし、願いも叶うだろう。もう一つは、そのけだものの左腕を、怪異と同化しち
まったその左腕を、すぱっと、切り落とすことさ」
「き、切り落とすって」
忍野の物騒な提案に、僕は、にわかに慌てる。
「……猿――悪魔の部分だけ切り落とすってことができるのか? その後から、元の腕が生え
てくるとか――」
「トカゲの尻尾でもあるまいし、そんな都合のいいこと、あるわけないじゃん。たかだか腕一
本で状況が解決するなら、買い物としては安かろうってことさ」
気楽に言うが――そんなの、冗談じゃない。
安かろう悪かろうもいいところだ。
普通の場合でもそうだろうが、神原の場合は尚更である。そんなことをしたら、神原は、二
度とバスケットボールができなくなってしまうじゃないか。バスケットボールというスポーツ
が、神原にとってどれほどの救いになって、今もなお彼女の支えで在り続けているのかを考え
れば、そんなことおいそれと、たとえ思いついたって、口にしていいような提案ではない。
「あ、ああ。それはいくらなんでも、私としても、困るというか――」
「人間一人殺そうとしてんだぜ? それくらい、当然の代償じゃないのかい、お嬢ちゃん?」
にわかに戸惑いを見せた神原に、厳しい言葉を投げかける忍野だった――こういうときの忍
野は、本当に情け容赦がない。羽川のときも戦場ヶ原のときもそうだったけれど――
「まあ、阿良々木くんが殺されるってのも、解決法としては、それはそれで簡単でいいのかも
しれないけれどね」
「お、おい、言いたいことはわかるけれど、でも、ちょっと待てよ、忍野。人間一人殺そうと
してるって……それは僕のことだろう? でも、それは神原の望んだことじゃないんだ。神原
はただ、戦場ヶ原のそばに――」
「そばにいたいだけ? 笑うねえ」
忍野は厳しい口調のままで僕に言う。
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「阿良々木くんは、本当に優しいよね。優しくてい