第92章

い人だねえ――優しくていい人だよ。胸が

むかつくねえ、本当にもう。その優しさで一体どれほどの人間を傷つければ気が済むんだろう

ね? 忍ちゃんのことだってそうだよ。そばにいたいだけだなんて、そんな甘ったるい言葉

を、そのまま信じたのかい?」

「……違うってのかよ」

僕は神原を窺いながら、忍野に反論する。

神原は、何も言わない。

「おい、神原――」

「たとえばさ、阿良々木くん。おかしいとは思わないのかい? 小学生のとき、一つ目の願い

を叶えたときの話だよ。どうしてその左手は、お嬢ちゃんの足を速くせず、周囲をぶちのめす

なんて行動に出ちまったんだと思う?」

「そりゃ――だから、猿の手は、持ち主の意に添わない形で、願いを叶えるから――」

「でも、猿の手じゃない」

忍野はきっぱりと断言した。

「魂と引き換えなんだ。願いは、願った通りに叶うはずさ。レイニー?デヴィルは低級悪魔だ

けれど、すぐ暴力に訴える悪辣な属性を有してはいるけれど、でも、契約は契約さ。取引は取

引さ。足が速くなりたいと願ったのなら、普通は、そのまんま、足が速くなるはずだ。同級生

をぶちのめして、それで足が速くなるのかい? その因果関係は、おかしいとは思わないか

い? 一緒に走る人間をぶちのめしたところで、新しいグループに入れられることくらい、自

明の理じゃないか」

「…………」

そう言われれば、そうだけれど。

「……じゃあ、どうしてなんだよ。雨合羽の化物は、どうして同級生を――」

「同級生をぶちのめしたかったからだろ。新しい学校になじめずにずっとからかわれてたんだ

もんな、お嬢ちゃんは。いじめというほどじゃなかったなんて言うけれど、そんなもん、いじ

められてる奴は大抵そう言うんだよ。両親が死んだばかりで辛かった時期に同級生から迫害を

受けたりしたら、そいつらに復讐を考えたとしても、全くおかしくはない。考えない方がおか

しいだろう、そんなの」

「私は――」

言いさして――黙る。

神原は、どう釈明しようとしたのだろう。

そして、どうしてそれをやめたのだろう。

あくらつ

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何に、気付いてしまったのだろう。

「無意識だろうさ、勿論。そんなことを願ったのは、無意識の内だったんだとは思うぜ? 意

図的にそうしていたのなら、そうとわかるはずだから。本人の自覚としては、『足が速くなり

たい』と願ったに違いない。だが、それは表で、裏は違う。その願いの裏には、暗い願望が

あったのさ。同級生を見返してやりたいと――同級生をぶちのめしてやりたいと。お嬢ちゃん

は無意識であっても、そう願ったんだ。悪魔はその願望を、見抜いた。願いの裏を読んだん

だ。でも、それは、お嬢ちゃんには、本当のところは、わかっていたはずなんだぜ? 無意識

とはいえ、正直な自分の気持ちなんだから。けれど、そんなことを自分で認めたくないから、

その現象に別の解釈を求めた……それが「猿の手」だったんだろう。願いが叶う云々じゃなく

て、意に添わぬ形で――という、その文言こそが枢機だったんだろう? 同級生を襲ったの

は、あくまで自分の意思じゃないという、精神的言い訳。まあ、大事なことだよね」

精神的な言い訳。

解釈の問題。

「猿の手に限らず、願いを叶えるタイプの怪異っていうのは、大抵の場合、主人公が悲惨な目

に遭って終わる――その意味じゃあ、お嬢ちゃんが小学生の頃に調べたってときに、別の怪異

に行き当たってもおかしくなかったはずだ。たまたまそれが、ジェイコブズの『猿の手』だっ

たってだけでね。でも、どうだい? お嬢ちゃんは実際、悲惨な目に遭っているかい? 願い

が叶ったことによって不幸になっているかい? 自分をからかっていた同級生が酷い目に遭っ

たことが、お嬢ちゃんにとって本当に不幸だって、阿良々木くんに言えるのかい? そこはザ

マミロすっきりしたって思うのが、普通だとは考えないのかな?」

「……普通って、でも、忍野」

「はっはー、阿良々木くん、何の確証があってそんなことを言うんだって思うかい? だって

さ、そんなの、話を聞けば、瞭然じゃないか。あからさまだよ。お嬢ちゃんのその腕……小学

生のときは、どうなっていたんだい?」

「………………」

そういえば。

当時は手首までの姿だったという、その左手の木乃伊は――どうなっていたのだろう。

「包帯がどうとか、そういう話は言わなかったよね――次の日、教室に行くまで、四人の欠席

を知るまで、ことが起きていることには気付かなかったんだろう? 左手がそんなことになっ

ていたら、何かが起きていることくらいには気付くはずなのに。つまりどういうことだい?

つまり、夜、同級生をぶちのめした段階で、願いは叶ってしまっていたということさ。一晩、

お嬢ちゃんが気付かない内に怪異はお嬢ちゃんの左手に同化して、お嬢ちゃんが気付かない内

? ? ? ? ?

? ? ? ? ? ? ? すうき

りょうぜん

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に怪異はお嬢ちゃんの左手から離れたってことだろう。離れて、願いを叶えたその魂の分だけ

――成長し、左手首から左腕になったって、ことだろうさ」

「……って、おい、忍野、それじゃあ――」

その話はわかったけれど。

でも、その弁だと、まるで――

「だから、阿良々木くんの最初の考えで、正しかったんだよ。珍しくも阿良々木くんは正解に

辿り着いていたんだ。言ったろ? 今日の阿良々木くんは冴えてるって、さ。ごちゃごちゃ複

雑に考えずに、普通に、ごく当たり前に、順当に考えれば、それでよかったんだよ。加害者の

言い訳を信じるなんて、本当に人がいいよねえ? 阿良々木くんは陪審員にはなれないよ。大

好きな先輩を寝取った男。殺したいくらいに嫉妬したとしても、おかしくはないだろうさ。お

嬢ちゃんの意思が噛んでいないなんてとんでもない、全てはお嬢ちゃんの意思だったのさ。左

手に意思など、あるものか」

と、忍野は言った。

008

レイニー?デヴィルは、とても暴力的な悪魔らしい――何よりも人の悪意や敵意、怨恨や悔

恨、嫉心や妬心、総じて、マイナス方面、ネガティヴな感情を好む。人の暗黒面を見抜き、惹

起し、引き出し、結実させる。嫌がらせのように人の願いを聞いて、嫌がらせのように叶え

る。契約自体は、契約として――人の魂と引き換えに、三つの願いを叶える。三つの願いを叶

え終えたときに――その人間の生命と肉体を奪ってしまう、そうだ。つまり、人間そのもの

が、最終的には悪魔となってしまう、そういう性質である

らしい。もしも神原が、一年前、戦

場ヶ原の抱える秘密を知った段階で、それを解決してくれと願ったところで、その願いは叶え

られなかったということなのだろう。レイニー?デヴィルが叶えることのできる願いは、暴力

的で、ネガティヴな願いだけなのだから。

悪魔は願いの裏を読む。

表があれば――裏がある。

足が速くなりたいのは、同級生が憎かったから。

戦場ヶ原のそばにいたいのは――阿良々木暦が憎かったから。

そう、裏を読む。

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?

ばいしん

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