第96章

左拳をかわした――かなりのぎりぎ

りだった。そのまま回転するように、僕はその場から離れる――格好悪いが、一旦体勢を立て

直した方がよさそうだ。

なんだ?

心なし、昨夜よりも更に速いような――いや、まだ目が慣れていないだけだ。とにかく、雨

合羽の左手による攻撃を避けながら、隙を見て『おもり』である、神原の身体を捉え、捕まえ

て、力任せに押さえこめば――

「…………っ!」

既に――追いつかれていた。

馬鹿な、速度に関してだけはどうしたって雨合羽を圧倒できるとは思っていなかったが、忍

のお陰で、僕だって昨夜とは比べ物にならないくらいに強化されているはずなのに、こんない

ともたやすく――雨合羽の左拳が、強く振りかぶられる。左側に避けるんじゃ駄目だ、雨合羽

の外側に回りこむように、何とか右側に――

ひしゃく しりぞ

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?

こうやく

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むき出しの、黒い毛むくじゃらの腕が――僕の頬をかすめ、空振りする。その風圧に、身体

が切り裂かれるようだったが――それにより晒された雨合羽の脇腹を目掛けて、僕は蹴りを入

れた。

……ごめん、神原!

心の中で、そんな風に謝りながら。

案の定左腕の部分以外は、そこまで逸脱してしまってはいない――雨合羽の身体は、蹴られ

た方向に、素直に吹っ飛んだ。そのままバランスを崩し、リノリウムの床に半身が倒れこむ。

やはり支配しているのが左腕だけというのは、雨合羽にとってネックのようだ……バランス

が最悪だ、明らかに、左腕の存在に、全身がついていっていない。

けれど、それにしては、さっきの速度はどういうことなんだ……? 昨夜の段階では、雨合

羽はまだ本気を出していなかったということなのか? 僕が強化されたのに合わせて、向こう

も速度を上げてきたということなのか……けれど怪異が、そんな手加滅手抜きめいたことをす

る必然性があるというのだろうか?

わからない。

わからない内に――雨合羽は起き上がる。

うーん……身体が神原のものであるということを差し引いても、やっぱり、転倒している相

手に追撃をかけるというのは、僕にはできないな……。そうしなくちゃいけないことはわかっ

ているが、どうしても、迷ってしまう。迷っている場合ですら、ないはずなのに。

優しくていい人。

嫌な評価だ、全く。

無個性をフォローされちゃって、まあ。

最短距離を結ぶ一直線の動きで、雨合羽の左拳が、今度は僕の右肩辺りに炸裂した――カタ

パルトのようなその拳が。雨合羽としては正中線を狙ったのだろうが、それを何とかずらすこ

とはできた……が、完全にかわすことまではできなかった。見切れない――あまりにも速過ぎ

る。三メートルほど、僕は後方へと飛ばされる……肉体的な平衡感覚で、僕は空中でぐるりと

回転し、着地。自転車を紙屑の如くにし、ブロック塀を崩壊させた雨合羽の左拳ではあった

が、昨日みたいに、僕はありえないほど吹っ飛ばされることも、肉体を決定的に破壊されるこ

ともなかった。ダメージは勿論あるが、それで動けなくなるほどじゃない。肩の骨が外れ、そ

の上罅くらいは入ったようだったが、それはすぐさま、吸血鬼の治癒能力で、回復する程度。

鋭い痛みも、一瞬で退く。これこそ、懐かしい感覚。やれやれ、明日の日の出が待ち遠しい…

…僕はどれほどの火傷を負うことになるのだろう?

だが、そんなことを考えている余裕はなかった。着地した姿勢のところに、雨合羽の追撃が

さくれつ

へいこう

かみくず

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来たからだ――追撃、迫撃。雨合羽には迷いがない。左拳が、今度は僕の顔面に向かってく

る。目が一向に慣れない、顔面に、そのまま食らってしまった。鼻骨が折れる音を聞かされ

た。今の状態の僕でそうなのだから、普通の人間の頭部など、木っ端微塵にするような破壊力

なのだろう、想像するだに恐ろしい。僕はみっともなく、這い蹲るように、雨合羽から距離を

取る。そうしている内に、折れた鼻骨も回復する。本当、嫌な感覚だ。自分がアメーバだかな

んだかになったような気分である。これで十分の一だっていうんだから――春休みの経験の、

どれだけ地獄だったことか。

次の拳は避けることができた。

けれどその次は、エッジがかする。

「…………くそっ!」

どうしてだ?

どうして避けきれない?

一直線の無駄のない動きだとはいっても、その攻撃動作自体は、左拳を、腕が肩の部分から

引き千切れ、ロボットアニメのロケットパンチよろしくもげてしまうんじゃないかというくら

い力任せにぶち噛ますだけの、単純な動きだ――事前モーションが少ないというだけで、見切

れないことはないはずなのに、どうして、追いつけない? 逃げ切れない? 明らかに昨日よ

りも何層倍もスピード値が上昇している。パワーは、そうでもないようなのに……一撃や二

撃、否、何十撃単位でもろに受けたところで、今の僕の肉体なら、それで即決してしまうこと

はないようですらあるのに、どうしてスピードだけが、こうも段違いになる?

昨日と今日とで、何が違う……。

雨合羽……。

むき出しの左腕、けだものの手。

……右手も同じくむき出しだが、それは、フードの内側と同じく、見えているはずなのに見

えていないような、深い洞のような雰囲気で――いや? そうか、そこが昨日と違う。昨日

は、雨合羽は、ゴム手袋をして――腕はどちらも、むき出しになってはいなかった。だがそれ

がどうしたっていうんだ? ゴム手袋をはめていたところで、それで移動速度が下がるわけで

はないだろう。

そして気付く。

ミスに気付く。

ゴム手袋じゃない――長靴だ!

神原が雑貨屋で買ってきたのは雨合羽だけ……ゴム手袋と、そして長靴は、入手してきてい

ない――雰囲気作りとはいえそこまで揃える必要がないと判断したからではなく、単純に、そ

こ ぱみじん

は つくば

うろ

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こまで思い至らなかったからだと言うべきだろう。僕も僕で、たった今まで気付かなか

ったの

だから。本家のレイニー?デヴィルが、どういう風に描かれているのか知らないが、忍野がそ

れをヒントにレイニー?デヴィルを連想したように、雨合羽だけでその性格は十分表されてい

るのだとしたら、怪異として表現できているのだとすれば、神原も僕も、決して間違っていな

いはずだった。

けれど――長靴じゃないということは、今の雨合羽は、スニーカーなのだ。一目瞭然、見た

まんまである。両手がむき出しになっているように、両足もまたむき出しの裸足ということに

はならない、靴は、元々神原が履いているものが、そのまま継続しているのだから。

いかにも高級そうなスニーカー。

長靴とは――出せる速度がまるで違う。

神原駿河ほどのアスリートとなれば

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